<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>gojo | 映画右往左往 作品篇</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/atom.xml" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:9</id>
    <updated>2008-11-14T15:00:00Z</updated>

<entry>
    <title>16　四畳半襖の裏張り（神代辰巳）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/16" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:2152</id>

    <published>2008-11-14T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-11-14T15:00:00Z</updated>

    <summary>16　四畳半襖の裏張り（神代辰巳） 　ヨーロッパの大抵の都市が、いやでも醸し出してしまう街路の歴史性を脱色されたような、平板な空間が続くここはロッテルダム。第二次大戦中に市街地が根こそぎ爆撃されて、それゆえ戦後の都市計画の中で斬新な現代建築の花咲く街になったとかいう経緯は、書物上の知識としては知らないではなかった。だが、それにしてもあっけらかんとした町並みだ。市の中心地区などは、自動車が入れないようにさえしていた。そんなところで行われる国際映画祭だから、やはり「進取の気性」でもなければやってられないだろう。毎年1月に開催されるロッテルダム国際映画祭は、2月のベルリン映画祭の前哨戦と位置づけられ...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        16　四畳半襖の裏張り（神代辰巳） 　ヨーロッパの大抵の都市が、いやでも醸し出してしまう街路の歴史性を脱色されたような、平板な空間が続くここはロッテルダム。第二次大戦中に市街地が根こそぎ爆撃されて、それゆえ戦後の都市計画の中で斬新な現代建築の花咲く街になったとかいう経緯は、書物上の知識としては知らないではなかった。だが、それにしてもあっけらかんとした町並みだ。市の中心地区などは、自動車が入れないようにさえしていた。そんなところで行われる国際映画祭だから、やはり「進取の気性」でもなければやってられないだろう。毎年1月に開催されるロッテルダム国際映画祭は、2月のベルリン映画祭の前哨戦と位置づけられ...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>15　ひとで（マン・レイ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/15" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:2133</id>

    <published>2008-10-13T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-10-13T15:00:00Z</updated>

    <summary>15　ひとで（マン・レイ） 　仕事柄、私は「フィルム・アーカイヴ」という言葉をかなり頻繁に使う。けれども、ある日小さな疑問が湧いてきた。日本で初めてそう名乗ったのはいったい誰なのか？　とそれなりに真面目に考えてみたのだが、その答えはどうやら「黙壺子フィルムアーカイブ」なのではないか（もしそれ以前にそう名乗った団体があればご教示いただきたく...）。なるほど、この国で初めてそのように自称した組織が、公的な映画保存所ではなく一つの自主上映団体だったことは興味深い事実だ。このことは、ある時代の日本の映画状況を雄弁に物語っていたのではないだろうか。 　「ぴあ」を開いて、アヴァンギャルド映画というものを...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        15　ひとで（マン・レイ） 　仕事柄、私は「フィルム・アーカイヴ」という言葉をかなり頻繁に使う。けれども、ある日小さな疑問が湧いてきた。日本で初めてそう名乗ったのはいったい誰なのか？　とそれなりに真面目に考えてみたのだが、その答えはどうやら「黙壺子フィルムアーカイブ」なのではないか（もしそれ以前にそう名乗った団体があればご教示いただきたく...）。なるほど、この国で初めてそのように自称した組織が、公的な映画保存所ではなく一つの自主上映団体だったことは興味深い事実だ。このことは、ある時代の日本の映画状況を雄弁に物語っていたのではないだろうか。 　「ぴあ」を開いて、アヴァンギャルド映画というものを...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>14　ブリキの太鼓（フォルカー・シュレンドルフ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/14" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:2105</id>

    <published>2008-09-09T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-09-09T15:00:00Z</updated>

    <summary>14　ブリキの太鼓（フォルカー・シュレンドルフ） 　高校時代は、出身地とはまた違う、のどかな地方都市に住んでいた。教室の窓から外を見ると、湾の向こうにいつも大きな山が見える。晴れた日曜日には自転車に乗って埋め立て地に向かい、山がもっと大きく見える海岸のテトラポッドの上で、本を読んだり勉強したりしていた。それしかすることがなかったのだ。県立美術館へ行くことも覚えたけれど、頻繁に足を運ぶような場所ではない。そんなある日、若い美術教師のT先生が、美術室にビデオデッキが入ったから何か映画でも観るといい、と生徒たち（男子校である）に伝えてくれた。ビデオ！　何やら神々しい響きがした。まだビデオデッキがどの...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        14　ブリキの太鼓（フォルカー・シュレンドルフ） 　高校時代は、出身地とはまた違う、のどかな地方都市に住んでいた。教室の窓から外を見ると、湾の向こうにいつも大きな山が見える。晴れた日曜日には自転車に乗って埋め立て地に向かい、山がもっと大きく見える海岸のテトラポッドの上で、本を読んだり勉強したりしていた。それしかすることがなかったのだ。県立美術館へ行くことも覚えたけれど、頻繁に足を運ぶような場所ではない。そんなある日、若い美術教師のT先生が、美術室にビデオデッキが入ったから何か映画でも観るといい、と生徒たち（男子校である）に伝えてくれた。ビデオ！　何やら神々しい響きがした。まだビデオデッキがどの...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>13　雁来紅（鈴木重吉）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/13" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:2072</id>

    <published>2008-08-09T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-08-09T15:00:00Z</updated>

    <summary>13　雁来紅（鈴木重吉） 　先日ある古書展で、巨匠キャメラマン三浦光雄の遺品だという写真帖を見る機会があった。10冊まとめて箱に入っていて、入札最低価格は100万円だと事前に聞いていたから、購入する気などもともとなかった。しかし古書店の方に伺うと、それでも前よりは値が下がったという。中には豊田四郎『夫婦善哉』の撮影現場のアルバムだってあるのだからどれも貴重な資料には違いないのだが、それでもそんなものが眼中になくなるほど静かに輝いている一冊があった。それは、三浦が修業中の身であった1919年から、撮影技師として一本立ちした松竹蒲田撮影所時代を経て、不二映画、入江ぷろだくしょん、そして東宝に所属し...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        13　雁来紅（鈴木重吉） 　先日ある古書展で、巨匠キャメラマン三浦光雄の遺品だという写真帖を見る機会があった。10冊まとめて箱に入っていて、入札最低価格は100万円だと事前に聞いていたから、購入する気などもともとなかった。しかし古書店の方に伺うと、それでも前よりは値が下がったという。中には豊田四郎『夫婦善哉』の撮影現場のアルバムだってあるのだからどれも貴重な資料には違いないのだが、それでもそんなものが眼中になくなるほど静かに輝いている一冊があった。それは、三浦が修業中の身であった1919年から、撮影技師として一本立ちした松竹蒲田撮影所時代を経て、不二映画、入江ぷろだくしょん、そして東宝に所属し...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>12　乾杯！ごきげん野郎（瀬川昌治）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/12" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:2032</id>

    <published>2008-06-28T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-06-28T15:00:00Z</updated>

    <summary>12　乾杯！ごきげん野郎（瀬川昌治） 　かつて「瀬川昌治研究会」という集団があった。渥美清の「列車」シリーズやフランキー堺の「旅行」シリーズなどで知られる喜劇監督瀬川昌治の映画を顕揚し、あまねく世に広めようと有志の方々が結成した会だ。主な活動は上映会の開催とコピー印刷の「瀬川昌治通信」の発行で、「通信」は全部で7冊が発行された。 　創刊号（1990年10月30日）　水民健一郎氏による監督論など 　第2号（1990年11月25日）　筒井武文氏による監督論など 　増刊号No.3（1990年11月30日）　谷昌親氏らによる監督論など 　特別号No.4（1990年12月1日）　瀬川監督インタビュー抜粋...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        12　乾杯！ごきげん野郎（瀬川昌治） 　かつて「瀬川昌治研究会」という集団があった。渥美清の「列車」シリーズやフランキー堺の「旅行」シリーズなどで知られる喜劇監督瀬川昌治の映画を顕揚し、あまねく世に広めようと有志の方々が結成した会だ。主な活動は上映会の開催とコピー印刷の「瀬川昌治通信」の発行で、「通信」は全部で7冊が発行された。 　創刊号（1990年10月30日）　水民健一郎氏による監督論など 　第2号（1990年11月25日）　筒井武文氏による監督論など 　増刊号No.3（1990年11月30日）　谷昌親氏らによる監督論など 　特別号No.4（1990年12月1日）　瀬川監督インタビュー抜粋...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>11　家庭教師（渡辺文樹）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/11" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1952</id>

    <published>2008-06-01T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-06-01T15:00:00Z</updated>

    <summary>11　家庭教師（渡辺文樹） 　少なからぬ人々が、その映画監督の一挙手一投足に注目している。その名を聞いただけで口元から笑いが漏れてしまう人もいるはずだ。ある物見高い映画雑誌は、彼の行動をつぶさにウォッチし、応援し、彼を座談会に呼びさえした。私は観ていないが（観たいが）、彼を追いかけたドキュメンタリーも作られたらしい。その監督の名は渡辺文樹。実にいい名前だ、と私は思う。 　いまや周知の事実だが、自作が劇場で公開されなくなってからの渡辺文樹は、われらが「島国根性」のタブーを破壊せんとするその時々の新作フィルムを担いで、日本中をせっせと行脚している。全国の公民館や市民ホールを借りて、町のあちこちに「...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        11　家庭教師（渡辺文樹） 　少なからぬ人々が、その映画監督の一挙手一投足に注目している。その名を聞いただけで口元から笑いが漏れてしまう人もいるはずだ。ある物見高い映画雑誌は、彼の行動をつぶさにウォッチし、応援し、彼を座談会に呼びさえした。私は観ていないが（観たいが）、彼を追いかけたドキュメンタリーも作られたらしい。その監督の名は渡辺文樹。実にいい名前だ、と私は思う。 　いまや周知の事実だが、自作が劇場で公開されなくなってからの渡辺文樹は、われらが「島国根性」のタブーを破壊せんとするその時々の新作フィルムを担いで、日本中をせっせと行脚している。全国の公民館や市民ホールを借りて、町のあちこちに「...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>10　あんなに愛しあったのに（エットレ・スコーラ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/10" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1951</id>

    <published>2008-04-12T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-04-12T15:00:00Z</updated>

    <summary>10　あんなに愛しあったのに（エットレ・スコーラ） 　大学の4年生だった、1990年の末から1991年の年明けにかけての自分のメモ帳を見ると、このように記されている。 12月25日　白昼の通り魔 12月27日　ALL ABOUT EVE［イヴの総て］ ANASTASIA［追憶］ LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING［慕情］ 12月28日　0課の女・赤い手錠　狂い咲きサンダーロード 12月31日　C&apos;ERAVAMO TANTO AMATI［あんなに愛しあったのに］ 1月1日　LES ENFANTS DU PARADIS［天井桟敷の人々］ 1月14日　（卒論提出） 1月2...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        10　あんなに愛しあったのに（エットレ・スコーラ） 　大学の4年生だった、1990年の末から1991年の年明けにかけての自分のメモ帳を見ると、このように記されている。 12月25日　白昼の通り魔 12月27日　ALL ABOUT EVE［イヴの総て］ ANASTASIA［追憶］ LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING［慕情］ 12月28日　0課の女・赤い手錠　狂い咲きサンダーロード 12月31日　C'ERAVAMO TANTO AMATI［あんなに愛しあったのに］ 1月1日　LES ENFANTS DU PARADIS［天井桟敷の人々］ 1月14日　（卒論提出） 1月2...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>9　怒りのキューバ（ミハイル・カラトーゾフ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/9" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1950</id>

    <published>2008-02-17T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-02-17T15:00:00Z</updated>

    <summary>9　怒りのキューバ（ミハイル・カラトーゾフ） 　「全貌」といえば、三百人劇場の専売特許だった。学生だった私にとって、都営地下鉄の三田線とはここへ行くためだけに存在した路線だ。「ATG映画の全貌」「中国映画の全貌」...。どこかでチラシを見つけると、「またゼンボウだ」と友人たちと苦笑していたものだ。中でもいちばん足を運んだゼンボウは、やっぱり「ソビエト映画の全貌」だったのではないか。革命初期であれ、スターリン期であれ、ソビエト映画だけは他の国と根本的に違う空気が流れているのが分かる。そして1992年、キネカ錦糸町が「マールイ・キノ」と名前を変えてソビエト映画の専門館になった時は心の底からたまげた...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        9　怒りのキューバ（ミハイル・カラトーゾフ） 　「全貌」といえば、三百人劇場の専売特許だった。学生だった私にとって、都営地下鉄の三田線とはここへ行くためだけに存在した路線だ。「ATG映画の全貌」「中国映画の全貌」...。どこかでチラシを見つけると、「またゼンボウだ」と友人たちと苦笑していたものだ。中でもいちばん足を運んだゼンボウは、やっぱり「ソビエト映画の全貌」だったのではないか。革命初期であれ、スターリン期であれ、ソビエト映画だけは他の国と根本的に違う空気が流れているのが分かる。そして1992年、キネカ錦糸町が「マールイ・キノ」と名前を変えてソビエト映画の専門館になった時は心の底からたまげた...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>8　ルイジアナ物語（ロバート・フラハティ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/8" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1949</id>

    <published>2008-01-17T15:00:00Z</published>
    <updated>2008-01-17T15:00:00Z</updated>

    <summary>8　ルイジアナ物語（ロバート・フラハティ） 　1993年、映画の仕事をする前のことだが、ある大型使節団の随行員としてアラブの国々へ出張したことがある。それなりの職務をこなしながら5か国をたった3週間で回るという強行軍、自由時間もあまりなかったが、まあ滅多に行ける場所じゃなし、使節団本体と同じく随行員もビジネスクラスに乗せてもらえると聞いては、それはそれは期待に胸を膨らませて荷造りをしたものだ。 　その最初の訪問国、アラブ首長国連邦（UAE）では、アブダビとドバイというこの国の二大都市を回ることになっていたが、こんな旅先でまさか映画を観ることになるとは思わなかった。ニホンの建設会社が施工したとい...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        8　ルイジアナ物語（ロバート・フラハティ） 　1993年、映画の仕事をする前のことだが、ある大型使節団の随行員としてアラブの国々へ出張したことがある。それなりの職務をこなしながら5か国をたった3週間で回るという強行軍、自由時間もあまりなかったが、まあ滅多に行ける場所じゃなし、使節団本体と同じく随行員もビジネスクラスに乗せてもらえると聞いては、それはそれは期待に胸を膨らませて荷造りをしたものだ。 　その最初の訪問国、アラブ首長国連邦（UAE）では、アブダビとドバイというこの国の二大都市を回ることになっていたが、こんな旅先でまさか映画を観ることになるとは思わなかった。ニホンの建設会社が施工したとい...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>7　黄金の馬車（ジャン・ルノワール）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/7" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1948</id>

    <published>2007-11-30T15:00:00Z</published>
    <updated>2007-11-30T15:00:00Z</updated>

    <summary>7　黄金の馬車（ジャン・ルノワール） 　大学院に行こうか、就職しようか、ぼんやりと迷った。映画三昧の日々の中で、そんなことも考えなければならない時期だった。結局は就職することを選んだ。ひとつには、僕が勉強を続けたところで誰の役にも立たないだろうと思ったから。そして何よりも、もう両親に頼りたくなかった。とにかく自分で収入を得たかった。就職難の時期ではなかったから、月々の給料を得るだけなら選択肢はそれなりにあった。 　僕のいた学科は、フランスに関係さえあれば卒業論文はどんなテーマで書いてもよかった。もし進学するなら、好きなフランスの小説家の研究にしようと考えていたのだが、これでお別れなら、やっぱり...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        7　黄金の馬車（ジャン・ルノワール） 　大学院に行こうか、就職しようか、ぼんやりと迷った。映画三昧の日々の中で、そんなことも考えなければならない時期だった。結局は就職することを選んだ。ひとつには、僕が勉強を続けたところで誰の役にも立たないだろうと思ったから。そして何よりも、もう両親に頼りたくなかった。とにかく自分で収入を得たかった。就職難の時期ではなかったから、月々の給料を得るだけなら選択肢はそれなりにあった。 　僕のいた学科は、フランスに関係さえあれば卒業論文はどんなテーマで書いてもよかった。もし進学するなら、好きなフランスの小説家の研究にしようと考えていたのだが、これでお別れなら、やっぱり...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>6　日本南極探検（田泉保直）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/6" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1947</id>

    <published>2007-10-28T15:00:00Z</published>
    <updated>2007-10-28T15:00:00Z</updated>

    <summary>6　日本南極探検（田泉保直） 　小さい頃から、世界の国の首都を暗記して喜んでいるようなガキだった。遊びから帰ってくると、百科辞典の別冊だった分厚いハードカバーの世界地図を毎日のように開いては眺めていた。教えられた中国の人口はまだ8億だったし、薄緑色で塗られたソ連はひたすら大きかった。イエメンはまだ南北二つに分かれていたし、中央アフリカは共和国ではなく「帝国」だった。もっとも、この国を一時支配したバカ皇帝のことを知るのは、それから10年も後のことだが...。そして、世界でいちばん行きたい国はなぜかアイスランドと決めていた。大きくなって映画を観るようになったら、ヴィム・ヴェンダースも同じことを言っ...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        6　日本南極探検（田泉保直） 　小さい頃から、世界の国の首都を暗記して喜んでいるようなガキだった。遊びから帰ってくると、百科辞典の別冊だった分厚いハードカバーの世界地図を毎日のように開いては眺めていた。教えられた中国の人口はまだ8億だったし、薄緑色で塗られたソ連はひたすら大きかった。イエメンはまだ南北二つに分かれていたし、中央アフリカは共和国ではなく「帝国」だった。もっとも、この国を一時支配したバカ皇帝のことを知るのは、それから10年も後のことだが...。そして、世界でいちばん行きたい国はなぜかアイスランドと決めていた。大きくなって映画を観るようになったら、ヴィム・ヴェンダースも同じことを言っ...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>5　すぎ去りし日の...（クロード・ソーテ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/5" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1946</id>

    <published>2007-09-23T15:00:00Z</published>
    <updated>2007-09-23T15:00:00Z</updated>

    <summary>5　すぎ去りし日の...（クロード・ソーテ） 　映画を観ること自体はどこまでも個人的な体験でしかないが、それでも、たった一人で映画という得体の知れぬ「魔物」と付き合い続けることは楽ではない。もちろん映画を好きになるだけなら難しくはない。ただ、長い時間を経た今も映画のことを考えている自分がいるのは、かつて何人もの人たちが、折に触れて私に映画を教えてくれたからだ。その人たちに対して特別何ができるわけでもないけれど、生涯感謝の念は抱き続けるつもりだ。 　大学生になったら、同じクラスの中にその男はいた。長身、色白で切れ長の目つき、少しだけ威圧的な空気をまといながらも、スマートな物腰で上品な関西弁を話し...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        5　すぎ去りし日の...（クロード・ソーテ） 　映画を観ること自体はどこまでも個人的な体験でしかないが、それでも、たった一人で映画という得体の知れぬ「魔物」と付き合い続けることは楽ではない。もちろん映画を好きになるだけなら難しくはない。ただ、長い時間を経た今も映画のことを考えている自分がいるのは、かつて何人もの人たちが、折に触れて私に映画を教えてくれたからだ。その人たちに対して特別何ができるわけでもないけれど、生涯感謝の念は抱き続けるつもりだ。 　大学生になったら、同じクラスの中にその男はいた。長身、色白で切れ長の目つき、少しだけ威圧的な空気をまといながらも、スマートな物腰で上品な関西弁を話し...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>4　大学は出たけれど（小津安二郎）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/4" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1945</id>

    <published>2007-08-01T15:00:01Z</published>
    <updated>2007-08-01T15:00:01Z</updated>

    <summary>4　大学は出たけれど（小津安二郎） 　世の中には、卒業論文のようなものを書かされる私立高校があると聞いて、それだけで驚いた。しかも、そこで「私は小津安二郎論を書きました」という方に出会って、さらにたまげた。この人は違う世界の人だ、と今でも尊敬している。一方、私の小津安二郎との出会いは...。 　大学生になって、田舎から東京へ出てきた。講義はそれなりに出るとして、残った時間にいったい何をしたらいいのかさっぱり分からなかった。初めて情報誌なるものを本屋で買い込み、それをめくった時の心の震えは忘れられない。「これからは毎週『ぴあ』を買わなければならない！」というこっ恥ずかしい文句を日記に残したほどだ...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        4　大学は出たけれど（小津安二郎） 　世の中には、卒業論文のようなものを書かされる私立高校があると聞いて、それだけで驚いた。しかも、そこで「私は小津安二郎論を書きました」という方に出会って、さらにたまげた。この人は違う世界の人だ、と今でも尊敬している。一方、私の小津安二郎との出会いは...。 　大学生になって、田舎から東京へ出てきた。講義はそれなりに出るとして、残った時間にいったい何をしたらいいのかさっぱり分からなかった。初めて情報誌なるものを本屋で買い込み、それをめくった時の心の震えは忘れられない。「これからは毎週『ぴあ』を買わなければならない！」というこっ恥ずかしい文句を日記に残したほどだ...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>3　ウォーカー（アレックス・コックス）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/3" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1944</id>

    <published>2007-08-01T15:00:00Z</published>
    <updated>2007-08-01T15:00:00Z</updated>

    <summary>3　ウォーカー（アレックス・コックス） 　もし、この人こそ自分の時代の映画作家だと言える監督を挙げろ、と問われたら、外国ならまずアレックス・コックス、日本映画なら阪本順治、と答えるつもりだった。誰もそんな質問はしなかったのに、勝手にそう口にする準備だけはできていた。就職したら映画があんまり観られなくなったなあ、と溜息をついていた1990年代の初頭のことだ。「自分の時代」といっても、自分と年齢が近いという意味ではない。長篇デビュー作にほぼリアルタイムで出会い、この人の新作は逃すまいと密かに決心した監督のことだ（実際はその後見逃した作品がいくつもあるのだが）。勝手に「アレックス・コックス主義者」を...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        3　ウォーカー（アレックス・コックス） 　もし、この人こそ自分の時代の映画作家だと言える監督を挙げろ、と問われたら、外国ならまずアレックス・コックス、日本映画なら阪本順治、と答えるつもりだった。誰もそんな質問はしなかったのに、勝手にそう口にする準備だけはできていた。就職したら映画があんまり観られなくなったなあ、と溜息をついていた1990年代の初頭のことだ。「自分の時代」といっても、自分と年齢が近いという意味ではない。長篇デビュー作にほぼリアルタイムで出会い、この人の新作は逃すまいと密かに決心した監督のことだ（実際はその後見逃した作品がいくつもあるのだが）。勝手に「アレックス・コックス主義者」を...
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>2　死んでもいい（石井隆）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gojogojo.com/okada/uosao/2" />
    <id>tag:gojogojo.com,2008:1943</id>

    <published>2007-05-17T15:00:01Z</published>
    <updated>2007-05-17T15:00:01Z</updated>

    <summary>2　死んでもいい（石井隆） 　外国に行って日本映画を観るのは、一種めまいにも似た体験である。誤解を恐れずに言えば、倒錯的な喜びだと言ってもいい。もっとも、私がドイツのケルンでやっと出会えた『愛のコリーダ』完全版であれば、日本で観られない以上、単に論理的なシネフィル行動に出ただけのことだ。そうではなく、徒歩や地下鉄でやってきた地元の観客たちに混じって、彼らがどの箇所で笑ったり歓声をあげたりするのかを肌で感じながら、映画を共有することが大切なのだ。初めての経験は、パリで観た吉田喜重の『水で書かれた物語』だったのではないか。これがかかったカルチエ・ラタンの名画座にはスクリーンが複数あり、入場者が並ぶ...</summary>
    <author>
        <name>岡田秀則</name>
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gojogojo.com/okada/uosao/">
        2　死んでもいい（石井隆） 　外国に行って日本映画を観るのは、一種めまいにも似た体験である。誤解を恐れずに言えば、倒錯的な喜びだと言ってもいい。もっとも、私がドイツのケルンでやっと出会えた『愛のコリーダ』完全版であれば、日本で観られない以上、単に論理的なシネフィル行動に出ただけのことだ。そうではなく、徒歩や地下鉄でやってきた地元の観客たちに混じって、彼らがどの箇所で笑ったり歓声をあげたりするのかを肌で感じながら、映画を共有することが大切なのだ。初めての経験は、パリで観た吉田喜重の『水で書かれた物語』だったのではないか。これがかかったカルチエ・ラタンの名画座にはスクリーンが複数あり、入場者が並ぶ...
    </content>
</entry>

</feed>
