11月7日アテネフランセ文化センターで開かれる万田邦敏監督の回顧上映用に一本の短編映画を作った。短編としての作品タイトルは『結婚学入門(恋愛篇)』。動機はオムニバス映画のなかの一本として制作されたが、成功したところも失敗したところも含めてとても愛着のある小さなコメディ映画となった。この制作誌を通して、現代の日本でコメディ映画を作ることの楽しさ、難しさを感じていただければ幸いである。
 万田邦敏監督から「一緒に短編映画を作りませんか」とお誘いのメールが来たのは7月30日のことだった。話は簡単、この10月に記念すべき万田さんの初批評集が出版され、それを記念して11月5〜7日にアテネフランセ文化センターにて万田さんの過去30年の歩みを振り返る特集上映が行われる。どうせやるんだったらこの機会に撮りおろしの新作を作ってみてはどうか、せっかくだから万田さん一人の撮り下ろしではなく、万田さんとの結びつきが比較的強い映画美学校6期の卒業生で今もどうにかこうにか監督をやってる面々を集めてオムニバスにしたらどうか。ということだった。
 映画美学校の6期生には、『ウルトラミラクルラブストーリー』の横浜聡子に『こんなに暗い夜』の小出豊、他に昨年から今年にかけて「桃祭り」の一本を監督した青山あゆみ、粟津慶子、長島良江、矢部真弓らがおり、皆それぞれに個性豊かだ。今回はその中から、小出さん、粟津さん、長嶌さん、矢部さん、わたしと万田さんの6人で一本のオムニバスを作るということだった。わたしはとりわけ、万田さんと小出さんと一緒に映画を作ることが何より嬉しかった(特にこのお二方、ということです)。
 脚本は共に映画美学校の後輩である高木幹也と三宅唱と三人で書くことにした。この時点で既に三人で何本かの企画の脚本を書き始めてはいたが、高木は東京芸大の終了制作の一本である『Elephant love』の脚本を書いており(実は未見)、三宅は今年のCO2のオープンコンペ部門でグランプリを獲得した『スパイの舌』の監督である。2人とも2、3年ほどの付き合いがあり、ともにその人物を良く知っていたこと、とくに高木は足し算の発想で物が書けること(時に予算にまったく嵌らなくなるほど、イメージにイメージを足した発想をバシバシしてくる)、とくに三宅はその分析能力の高さとイメージ喚起能力の高さ、論理的思考能力の高さに秀でていること(時にこちらが面食らう程、バシバシ脚本の論理を組み替えた発想をしてくる)、そして2人ともナイスガイである点で一緒に脚本を書くことにした。彼らはいずれも二つ返事で快諾してくれた。
 オムニバスの企画の概要は、結婚をテーマにしたものであること、日曜日に行われる結婚式に参加する人々(新郎新婦の親族、友人、仲人など)の月曜〜土曜日までの悲喜こもごもを各監督が描くこと、それぞれの曜日をそれぞれの監督が担当する続き話であること、万田さんが土曜日を描き、それは日曜に結婚式を挙げる新郎新婦の話しであること、日曜日は字幕で描くこと。ということであった。くじ引きの結果、わたしは新婦の友人の火曜日を描くことになっていた(その後、各監督がプロットないしはシナリオを提出した結果、話の流れの関係でわたしの話は水曜日になった)。
 8月上旬に御茶ノ水のエクセルシオールにて3人で集まり、わたしが用意した10行足らずの話にならない話をもとに、ネタだしを始めた。とにかく決めていたことは、方向性として確実にコメディにすること、見たお客さんが楽しめて愉快な気持ちになる映画にすること、最後はキスで締めること、そして俳優杉山彦々をハーポ・マルクスに見立てること、といってもハーポのモノマネをするわけではなくその行動論理として(これは狙いを軽く越えて、おそろしいほどの成果をあげた)。ということであった。
 「コメディ」、とは少なくとも日本においては確実に死滅したジャンルの一つだろう。もっと正確にいえば、ここでいう「コメディ」とは、「ドタバタ喜劇」「ソフィスティケイテッド・コメディ」「スクリューボール・コメディ」の三つのジャンルのことを指し、それらはすべてアメリカ産のものである。
 「ドタバタ喜劇」とは主に1920年代のサイレント映画の時代に全盛を極めたものであり、「ソフィスティケイテッド・コメディ」と「スクリューボール・コメディ」は1930年代に映画がトーキーとして言葉を持つようになった後に生まれたものである。もちろん、これらの呼称は、事後的に名付けられ、曖昧に分類されたものであり、「ソフィスティケイテッド・コメディ」は今では「ロマンチック・コメディ」と呼ばれるジャンルにかろうじでその息吹が残っているのかもしれない。
 かつて日本でも、「ドタバタ喜劇」は確実にその移植に成功し、繁栄を極めたこともあったが(主にサイレント時代の松竹映画)、「ソフィスティケイテッド・コメディ」の移植に成功したのは恐らくわずかに戦前の小津安二郎くらいであり(『淑女は何を忘れたか』)、「スクリューボール・コメディ」の移植に至っては、戦後デビュー間もない市川崑が『結婚行進曲』にて果敢にその移植に挑戦したくらいでほぼなしえなかった、といっても過言ではないだろう。
 『結婚行進曲』の市川崑は、俳優に対して自らストップウオッチを片手に、このセリフを何秒以内にいってください、とセリフの速度を日本語の限界にまで上げる試みを行ったという。これはまさしくトーキー映画の究極的なスクリューボール化の一本である『ヒズ・ガール・フライディ』のハワード・ホークスが試みたことと一致する。ホークスが『ヒズ・ガール・フライデー』を監督する際、1分間のセリフの量を通常の二倍近くにまで引き上げた、というのは有名な話だ。
 とはいえ、この、セリフの速度を各言語の限界点にまで上げる、という見方は極めて形式的な見方であり、その意味で『結婚行進曲』の市川崑や『ヒズ・ガール・フライディ』のハワード・ホークスは「スクリューボール・コメディ」の徹底的な形式化を行ったといえるだろう。では「スクリューボール・コメディ」をその内容から規定してみたらどうなるか。これがまず、この小さな短編を作る過程で見出した答えの一つであった。
 3人でのネタだしにより話の設定をホテルとし(これは三宅のアイデアによる)、それをもとに作成した高木によるシノプシスを得たわれわれは、さらに3人でのネタだしを踏まえ、8月24日の深夜、末広町のジョナサンにてわたしと高木の2人で缶詰になり、その翌日わたし一人で上野のマクドナルドにて一気にシナリオを書き上げ、そのタイトルを『結婚学入門』と名付けた(後に(恋愛篇)とサブタイトルが付けられる)。『結婚学入門』とは、『結婚哲学』のエルンスト・ルビッチに影響を受けたとされるサイレント時代の小津安二郎が、初めて彼自らのコメディにソフィスティケイテッドな味付けをしたといわれている、今は失った映画のタイトルである。
 『結婚学入門(恋愛篇)』は、ほぼ自主制作に近い形で制作された(素晴らしき友人たちからのカンパなど、関係者の皆様の多大なる協力によって制作された映画だ)。予算の乏しい映画を作る場合、ロケーションの数と登場人物の人数をできる限り限定し、機材費やスタッフの人件費削減のためナイトシーンもできる限りなくし、ほぼデイシーンのみでシナリオを構成することはもっとも簡単なセオリーであるが、それに従い今回はほぼデイシーンのホテルの一室で展開することにし、その狭い空間のなかを登場人物たちがめまぐるしく出入りするという設定を押し進めた結果、現場で演出をするわたしはコンテを切るのにかなり手こずった。
 『結婚学入門(恋愛篇)』の話の骨格は、ホテルで行われる新型カツラの講習会にやってきた男女2人の会社員が巻き込まれるドタバタ喜劇、ということになるのだが、まずここで発見したことは、「ドタバタ」とは、「複数の登場人物たちによる忙しない扉の出入り」によって表現されるということだった。
 かつて小津安二郎は「日本人の生活様式はもっとアメリカ化しなければならない」といったが、これはアメリカ映画を見れば誰でも思う、あの「扉を開ければすぐそこはプライベートな部屋の中」という生活空間のことを指す。玄関の扉を開け、入り口で靴を脱ぎ、廊下を入って部屋の中、という日本の生活空間では、なかなかリズミカルな演出が難しい。わたしたちは設定をホテルにすることで、そのことの解決を試み、ドタバタを表現しようと試みたのであったが、実際現場に入るとなかなかそうは問屋が下ろさないことに大いに直面したのだが、それはまた後の話である。

(次回「制作・撮影篇」にて完結)

『結婚学入門(恋愛篇)』
2009/SD/16:9/18分

スタッフ
監督/佐藤央 脚本/高木幹也・三宅唱・佐藤央 撮影・照明/四宮秀俊
録音/新垣一平 美術/田中浩二 衣装/小磯和代 メイク/小櫃香菜
編集/山崎梓 音楽/近藤清明 制作/阿部史嗣 草野なつか 助監督/三宅唱
製作/グリーンピース・マニファクチュア プロデューサー/佐々木利記
キャスト
汐見ゆかり スズキジュンペイ 杉山彦々 小野ゆり子 小田豊 森下まりい
11月7日 アテネフランセ文化センター オムニバス映画『葉子の結婚』(水曜日)の一本として上映
11月16日、18日 大阪ヨーロッパ映画祭 『結婚学入門(恋愛篇)』として上映
[2009.10.21]