死刑映画×2
夏が終わったからもうどこでも行けるのさ!ということで超久しぶりに日仏学院に映画を見に行く(トイレがめちゃくちゃかっこよく改装されてて驚く。前でも十分きれいだったのに)。「映画における罪と罰 死刑制度を巡って」という特集、ということは行ってから知る。死刑反対。
ロベール・ブレッソンの『抵抗 死刑囚の手記より』(56年)、久しぶりの同時通訳(イヤホン借りて通訳聞きながら見る)。会話劇な映画だとしんどいなと思ってたけど、その不安は回避。ドイツ軍に逮捕されたフランス人将校が、脱走を実行するためにひたすら黙々とその準備を進めていく。隣りの囚人との会話とか外から聞こえてくる銃声とか看守の見回りの音とかもちろん出っぱなしの主人公の顔とか、いちいちに「うおお、今私映画見てる!」と自分でもやや意味不明な感動を覚える。ラストのサーカスみたいな脱出方法にちょっとびっくりする。
続いて大島渚の『絞死刑』(68年)、が、一本目のブレッソンとあまりに違うノリ(寸劇?みたいな)なのでついて行くのにちょっと時間がかかったのだが、面白かった。死刑執行時に完全に死亡しなかった死刑囚の青年(在日韓国人の設定)が、意識を回復したとき心神喪失状態で記憶が混乱していることから再執行が可能か不可能かでてんやわんや。これが同時通訳やったら泣いてたってくらい言葉大活躍だったり、現実だか虚構だかわからない世界で映画が進んでいく感じはあまり嫌いではない。現代じゃあこんな映画撮る人ほとんどいないだろうけど。
映画の中でやたら「我々在日朝鮮人は!」みたいなことが叫ばれるので、なんとなく「いやあ、そんな大したもんでも…」と1人で肩身を狭くする。38年前かあ。
と、充実した映画体験をし、そのままおとなしく帰宅するつもりが、ウチに着いたのは翌日の朝7時。なんで?