MISSINGからのOmokage
知り合い率の異常に高いCO2東京上映展2011の会場で、挨拶する人みんなに「猫大丈夫?」と心配して頂き、有り難いことで。本猫は親の心子知らずな感じで結構元気に生き延びております。
で、平日の夜だというのにほぼ満席の中クーラー直撃の座席に座ったことを激しく後悔しながら、佐藤央監督『MISSINNG』&万田邦敏監督『面影 Omokage』両作東京初上映を鑑賞。突然幼い息子を失った女を巡る『MISSING』は、冒頭の神戸の海から大変かっこよく、自主映画とは思えない立派な画面に圧倒されつつ、さすがと言うかやっぱりと言うか小出豊氏の脚本に漂う全面的な不吉感に何でこんな私をイライラさせることばっかり考えつくんやろと、イライラするのがイヤとかじゃなく、自分じゃ絶対考えつかない展開に感心しつつ。キチガイじみたおばさんの存在には思わず笑ってしまったけど。でたらめな大人の世界に自ら足を踏み入れる少年たちの姿とまっすぐな表情がなんとも胸を締めつけ、まったくの素人子役だと後で聞いて驚いた。失ってしまった、二度と戻らない人への想い、という点で共通してるのかと途中で気付いた『面影 Omokage』は、実はだいぶ前に音楽や字幕が入る前の状態で一度試写を拝見していたのだけれど、ベルギー人のおじさんが大阪の和菓子屋で見知らぬ親子と掛け合いをするという冗談みたいな25分の短編作が、最終的にはなんだか感動的に思えてくるから不思議。ベルギーのジャン・ギャバンらしい主演のヤン・デクレールさんの佇まいと、狭い店内で漫才みたいな会話を展開する父と息子のやりとりと路上で話し合うベルギー人と日本人の会話だけでほんとに十分な映画。大阪の路上に跪きながらオランダ語で椅子に話しかけるベルギー人、という画はさすがにちょっとシュールだったけど。両方とも若いカメラマンの仕事が素敵でした。またどこかで上映される機会があれば是非。
終了後へらへら参加した打ち上げ、もうこういう大人数の飲み会では圧倒的に年下の人が多いんだとちょっと新鮮でございました。