2.10
『駆ける少年』
本日は劇場にノーナデリだった(さすがに帰国されたか。でも監督直々のメッセージは劇場で流されてた)アミール・ナデリ監督『駆ける少年』(85年)をシネマート新宿さんのでかいスクリーンで鑑賞。
70年代初頭のイランの港町で、親や身内もいないのか屑拾いや瓶集めをしながら貧しくも逞しく生きていく、可愛い顔してかなりカネにはがめつい少年アミル(という名前からも監督の自伝的要素が大きいのかな)、 辛い環境にありながらも同じような仲間たちと時には子どもらしくはしゃいだり無茶したり親友との別れを経験したり。しかしそんな場所からいつか抜け出すことを夢見て、異国の豪華客船やプロペラ飛行機に憧れてキラキラした世界へ必死に近づこうとする、でも少年自体は乗り物なんかに乗ることを知らず、ひたすら駆ける。とりあえず駆ける。タバコと酒で肺機能低下しまくりの大人には見てるだけで無理ってくらい駆ける。駆けたところで待っているのは氷くらいなんだけど、その少年の姿と映画自体のあまりの一途さに心は打たれ、子どもと労働、貧困な地元民と裕福そうな西洋人、教育と無知、ジョーズの理不尽な登場、それらに対する怒りや鬱憤が文字通り爆発するとき、子どもたちの駆ける姿が信じられないような迫力でぶつかってくる。それは『CUT』にも通じるものがあるか。実は可愛い子どもが主演の映画ってあんまり得意じゃないんだけど、こいつらは中々凄かったです。
かなり若い頃に撮られた作品とのことだが、めちゃくちゃ丁寧に撮られてるカメラ、街の轟音や流れるポップミュージックなどの緻密な音、これはフィルムで体験してみたかったかな。そしてイランの子どもはたいがい私の幼少期に似ている。