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8.21

「堀禎一そして/あるいは現代映画」

いつぶり!?ってくらいに久しぶりのアテネフランセさん、開催中の「堀禎一 そして/あるいは現代映画」特集へと服着るのもイヤや裸で行こかなってくらいに暑い中向かった。
堀禎一監督『天竜区旧水窪町 祇園の日、大沢釜下ノ滝』(14年)、すんごい面白かった。久しぶりに見たジョンも可愛く、元気で安心した。子どもって花火に飽きることあるんや…と思った。もっとずっと見てたかった。でも無理なんやなと今さら強く感じた。これで天竜区コンプリート、のはず。多分。他のはあの東中野で見たはず。ホン・サンスと並んでタイトルと内容ごっちゃになって全然区別つかない。ごめん。
葛生賢監督『吉野葛』(03年)、やっと見れた!とか言いながら延々と林道ドライブのくだりでややウトってしまったりもしたのだが、谷崎潤一郎「吉野葛」の朗読劇なのかな、一応。「吉野葛」は未読なので内容を正確に理解できてるとは到底思わないけれど、うつくしい吉野の映像が小説の内容を説明するわけでなく、小説が映像の解説をするわけでなく、不意に現れる朗読している女性(よく噛まないなとめちゃくちゃ感心した)の不自然なのに自然に思える存在も含め、その全部が拮抗してる、非常に刺激的な映画であった。。ただこれは谷崎の小説を読んでてもいつも思うことだが、そこに出てくる関西弁とか「大阪」があまりに自分の知っているものと違い過ぎて、なんか反省した。
アレクサンドレ・レフヴィアシュヴィリ、ラティ・レフヴィアシュヴィリ監督『最後の人々』(06年)、ジョージアの山奥に住む人々の働いたり祈ったり踊ったりする日常のドキュメンタリー。見事に若い人がいない村。冒頭のでかい丸いやつから、あのせっかく煮たのにバケツに入れて外にブチまけてたやつまで、「それ何!?」と気になるも何の説明もされないまま不思議な音楽にのって映画は終わっていった。世界にはまだまだ知らないことがいっぱいあるんだな…としみじみ思った。豚さんはもうちょっと優しく扱ってもいいんじゃないだろうか。あと、牛に引かせる木、長過ぎじゃないだろうか。