7.20
若松孝二体験
東中野に若松孝二へレトロスペクティブ、二本立てでチャレンジ。
これを機に若松作品をいっぱい見よう…、と思っていたら、二本目は別の監督(大和屋監督)の作品だということを劇場で知る…。別にいいけど。
若松監督の『胎児が密猟する時』は、怖い。怖過ぎる。
ひたすら女性が拷問を受けるシーンの連続。見てるこっちまで拷問を受けてるかのような気になってくる。密室劇の恐怖。
主人公の男が、変態という情報しかない。時折トラウマめいた台詞を言うんだけれど、ホンマかウソか定かではなく。怖い。なぜか突然タキシード着出したりする。それも怖い。
雨が降りっ放しで、シャワーが流れていて、最後は血しぶきで女が濡れる…。決して乾かない男と女。エロいです。いやー、すごい。
大和屋監督の『毛の生えた拳銃』、もう、見てるだけでラリりそうな映像と音楽のテンポとリズム。渋過ぎ。
びっくりする程不親切で、ぶっ飛びまくってる脚本なのに、面白くて面白くて…。冗談なのか本気なのかわからないくらい変なことの連続なのに、なぜここまで映画なのか。
シロの役は、今なら千原ジュニアにしてもらいたい。シャワー浴びる時でもサングラス!かっこいい!!(やや感覚マヒ)
と、絶賛してみたがしかし、こういう映画をフェミニズム/ジェンダー的観点から語り直すことは可能なのだろうか、と、ふと思う。
勿論、この2つの映画の中で(作り手によって)女性が本当に虐げられているだとか、差別的扱いを受けているだとは思わないけれど、でも、女性がこうした表現をされざるを得ない、ということ。
多分、誰かがいつか考えなきゃいけない問題なんでしょうね、とわかっちゃいるけど…。