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12.03

演劇と笑いとコントと映画とドラマ

役者をやっている友だちに誘われ、下高井戸に演劇を見に行く。

といっても、飲み屋の一部を利用した小さな舞台で、観客は満杯になっても20人が限界ってくらいの小規模なもの。タイトルは『宇田川と八日市屋』。それぞれ別の劇団に所属している人たちが集まって出来ているユニットで、ひとつの劇団というわけではないらしい。よって劇団名はなし。詳細は不明。

内容は、小さなストーリーがオムニバスでぽんぽん演じられるカタチなので、何か「物語」があるわけではない。

出ている人にもスタッフにも全く知り合いがいないので、完全に客観的な目で見るも、中々面白かった。笑えた。

が、最近の私の気になるテーマの一つである、「演劇」と「コント」の違いについてまさに当てはまってしまったため、ちょっと余計なことを考えながら見てしまった。(ここでいう「コント」とは、いわゆる最近のお笑い芸人がテレビやライブでやる様なコントね)

この頃小劇場的な演劇を見る度に「このドラマの不在はなんなんだ??」という疑問が頭に浮かんで仕方ない。とりあえず笑えるんだけど、それだけ。

演劇の中に「笑い」が必須である、という意識を浸透させたのは松尾スズキだと私は思うのだが(それをメジャーにしたという点で、宮沢章夫よりもやはり強い)、彼の作る舞台には、勿論ドラマが存在する。しかもびっくりするくらい面白いドラマが。最近の人たちは彼から影響を受ける部分をビミョーに間違っている気がする。

ドラマ不在の笑いの扱いについて、『運命じゃない人』について書いた時にも怒りまくったので、これは演劇に限らず映画についても言えることなんだけど、「笑い」はドラマの中に不可欠なものではなく、ドラマの中で偶発的に現れるものなのだと思うのですよ。(ついでに言うと、最近の映画作りに携わる人も、他の映画からの影響の受け方を間違っている場合多し)

「笑い」ありきで考えるなら、演劇とも映画とも呼ばずに、コントと呼んで頂きたい(モチのロンそこに優劣はないですよ)。そしてそれなら、中途半端な笑いはやめて頂きたい。

そしてやっぱり「演劇」「映画」「ドラマ」「笑い」とくると、松本人志に辿り着いてしまう、ダウンタウン信者の悲しいサガ。

彼は「とかげのおっさん」というコントで、コントの中から偶発的にドラマを生む、という奇跡を起こしてしまった。あれほど笑えて泣けるドラマを私は知らない。