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12.16

素直が一番

諏訪敦彦監督の『Hstory』(03年)が、一般公開されてた時の記憶がなく、普通なら絶対見に行ってるはずなのにいつのまにか見逃していたので、今回のアテネフランセの特集(「現代日本映画」)に感謝。

この映画は、諏訪監督が『二十四時間の情事』(アラン・レネ監督)のリメイクを、広島でフランス人女優と日本人俳優を使って撮影する過程を中心に、フィクションともドキュメンタリーともつかないカタチで進んでいく、一見変わったもの。その、映画を解体するとも言える手法を否定する気はない。だが…。

まず、観客を惑わすような作りに見えるけど、明らかに100%フィクションなことは明白で、そう考えた場合、決定的に物語として面白くない(ごめん)。

そして、映画を通して結局最後まで、「ヒロシマ」とフランス人女優の必然性が私にはわからなかった(原爆投下時の映像が挿入されたりするんだけどね)。なぜ03年にこの映画か、と。

今日は同時に、監督が若い頃に撮った8ミリ映画『はなされるGANG』(85年)も上映されたんだけど、こっちの作品の方が全然面白かったのよ、実は。

『はなされるGANG』も、映画の冒頭で登場人物たちが自らストーリーを説明したり、途中で撮影風景が挿入されたりしていく作品。

技術的には全然稚拙で、声もほとんどろくに聞こえないんだけど、こっちの方がなんと言うか、その時代にこの監督が撮らなきゃいけないものを撮った感じがすごくした。

『Hstory』を撮るにあたって、多分監督は色んなことをめちゃくちゃ考えたんだろうけど、映画に対して自覚的であることが、この作品は逆に映画を窮屈な世界へ連れて行ってしまっているような。映画がそこからどこにも広がっていかないから、見てても何も感じられない。監督が自分の作りたいものを自分で完結させて、それがそのまま(何の映画的奇跡も起きず)作品になっているような。

『Hstory』ではフランス人と日本人の言葉の通じ合わない関係、『はなされるGANG』では耳の聞こえない男と聞こえる女。そういう、言葉以外のコミュニケーションの描き方も、後者の方が良かったような…。なぜなら、『はなされるGANG』の方が、それが男女の関係に作用する瞬間を恥じることなく撮っているから。

そう、単純にね、『Hstory』を見て感じたのは、「そんなクールぶってかっこつけずに、もっと素直に映画作ればいいのに…」ってことなのでした。歳を重ねて色々学習するのはいいコトだと思うけれど、それが映画に対する衝動を越えてしまうと本末転倒、とでも言いますか。我ながらどうかと思う程の偉そうさですが。

まあ、久しぶりに見たベアトリス・ダルはやっぱキレイ。もっとぽっちゃりしてるイメージだったけど、細くても素敵。

上映後、なんか偉い学者さんの講演があったらしいが、映画に対して誰かの話を一方的に聞いて勉強する、ということに全く興味のない私は途中退場。こんなだからいつまでたっても成長しないのか!