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6.08

『バッシング』

御親切な御方からチケットを頂戴したので、遠慮なく小林政広監督の『バッシング』を見に渋谷へ行かせて頂きました。ありがたやありがたや。

この映画は、あの事件のあの人のことを題材にしてるらしいという情報を事前に少しは知っていたものの、作品の冒頭には「完全にフィクションです」という字幕が出るし、内容自体もびっくりするくらい「バッシング」が起こる具体的な原因には無説明。(でもついさっきチラシを読み返したらびっくりするくらい詳しく説明が書いてあった…。ちょっとショック)

確かに、そんな説明はいらないくらい主演の占部房子の芝居(表情)はとても良く、彼女を見てるだけで十分に成立する、のだが、時々出てくる可視的な「バッシング」シーンの演出がちょっと拍子抜けでもったいない感じがしてしまった。作ってる側が完全に主演の「彼女」側だってことは理解出来るし納得もするけれど、これだとなんだかただの善対悪みたく見えてしまうんじゃないかしら、と。唯一中立的だった継母との和解も唐突過ぎるような。

でも、主人公が、この事件における所謂「国民」にとっては全く理解も共感も納得もできないキャラクターで、それが最後まで(ラストの一語一句まで。普通あんな時にあんなこと言う人イヤよね)貫き通されてたのは、すごいと思った。決して聖人になることはなく。と書いて、もしかして、あのラストは観客の共感をよぶものなのかもしれないけれど、私が個人的に全くそうは思わなかっただけかもと不安になってきた…。どうなんでしょう…。意見求む。

いやしかし、こういう映画が作られることは大切やし必要やし、公開が見送られてたってのはまことに遺憾(意味合ってる?)。ほんとに、現実にあの事件の報道を見たときの衝撃と恐怖はすごかった。あんなにあからさまに特定の人に向かって「死ねよ」って言うんだ日本人て、と。ほんで結局殺すなんて。言ってるお前らが死ねよ!なんて騒いでたけど、それは今でも思ってるけど、そのことを映画にしようと思った人たちがいたことにはちょっと救われた。

映画後は、深夜の渋谷に美味しいパンケーキを求めて彷徨う。結局見つからず。無念。