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5.15

『フランドル』

ブリュノ・デュモン監督の『ユマニテ』を公開当時見た時は「主演俳優の顔が気にいらねー」くらいの感想しか抱けなかったのだが、最新作の『フランドル』は、カンヌでグランプリ取ってるし、映画館のポイント溜まってタダで見れるしってなワケで見に行ってみました。

フランドル地方の、本当に何もない小さな田舎町に住む若者たち。青年は戦場に行き、少女は手当たり次第の男とセックスをする。徐々に何かが狂っていく。

確かに、フランドルの美しい風景とそこで行われる異常な性行動、緊迫感があるんだかないんだかよくわからない、でもとても恐ろしい戦場の映像がある種の誠実さを持って性と暴力と戦争と平和と男と女を描いていることはわかるし、それはとても重要なことだと思う。が、だがしかし、そういうことを伝えるためにあらゆる男性のセックスを受け入れる女性という存在をキーとして使う、という発想がなんだか古くさく感じてしまった…。今更そんなことされても、みたいな。その女性の存在が映画の中で意味がなくなるくらいのものになってくれればそういう不満も抱かずに済んだんだろうけど、あまりにも意味を負い過ぎ感がでかくて。別に、女が男とセックスする時に意味がない場合だってあるんじゃね?みたいな。と、こんなことを言うとまた「個人的感情で映画見過ぎ」と怒られるのかしらん…。

あと、監督の意図とは関係ないと思うが、チラシの説明文に「マリアのごとき少女の姿」って書いてあるのが笑えた。誰とでもやってくれたらそれだけでマリアかよ。勘弁。

あと、色んな映画を見てて思うけど、この辺りの土地の若い女の子ってミニスカート好きですよね。

渋谷センター街をひとりでフラフラ歩いてると、見知らぬ男性2人組から「お疲れ様でーす」と挨拶された。とりあえず、「あ、お疲れ」と返しておいたが、誰?