『あしたの私のつくり方』
雨や!でも髪の毛広がらない!文明万歳!!
ってことで、いくらおでこの狭さが気に入らないは言えやっぱり気になる成海璃子をチェックするために、市川準監督の『あしたの私のつくり方』に足を運ぶ。
小学生から高校生にかけての、思春期の女の子のそれなりの汚さとそれなりの美しさを離れた場所に住む2人の少女のメールのやりとりを通して描かれている映画、とでもいうのか。
女子グループの残酷で陰湿ないじめ、そこを上手く渡っていく処世術、家族の不和、ネタとしてはなんの新鮮さもないけれど、でも相変わらずおでこは狭く肩の細さにドキドキさせられ竹内結子に増々似てきてるのがちょっと不安な成海璃子の芝居が良くて、見ていて退屈にはならず。少女嫌いで有名な私でも、なかなか面白いじゃないかと思いました。脚本が女性だからかな。実はちょっと泣きました。
終盤のテレビ電話のシーンは余計なこと語らせ過ぎで興ざめしかけたけど、璃子クンの涙が美しかったので許す。相手役の前田敦子(AKB48のメンバーだそうな)もとても良かった。しかし2人の視線は交わらない。
市川準監督は、最近ちょっぴり変わったことがやりたいお年頃なのか、分割画面やかなり大胆な携帯メールの映像(これにはドコモさんも大満足でしょう)と文章の使い方(途中、懐かしの『(ハル)』みたいになってた)なんかをちょいちょい挟むんだけれど、その辺は今イチよくわからず…。別にじっくり女の子たちを撮ってるだけでいいんじゃないかなあと思ってしまった。まあ携帯電話を物理的・心理的距離感を表すものとして映画の中に存在させる時、それがメールに限られた使い方だとただ普通に映すだけじゃ難しいのもわかるけど。
石原真理子が可愛かった。でも母親がこれで父親が石原良純なのはさすがに濃すぎるんじゃないかと思った。あと、文芸部の顧問がホストみたいすぎて腑に落ちなかった。
映画を見ていてなんとなく頭に浮かんだのは「蹴りたい背中」。青春も色々ですね。果たして自分のは、と思い出しただけで吐き気がするけど。
まあ「自虐の詩」の映画化はマジ有り得ないとして、「夕凪の街 桜の国」も結構微妙よねー。