『MW-ムウ-』
今年はもう言わんとこうと思ってたけど、やっぱりあかん。夏は死ぬべき。
漫画の映画化反対部、しかも手塚治虫記念館が出来た際には宝塚まで足を運んで訪問した程の手塚主義者である私に無断で『MW-ムウ-』 (岩本仁志監督)とは何事だと見る前から文句ダラダラ。正しく文句言うために事前に原作を買い直して読み直した真面目なあたし。
で、見た結果、えっと漫画「MW」って、戦後の日本政府と米軍とキリスト教と同性愛とトラウマと復讐を巡る壮大な全三巻(それでもあとがきに「自らの悪筆に遺憾千万」とおっしゃる手塚先生…)だったはずなんですが、映画にはその要素全てが感動的なまでに出てきません。それが良いとか悪いとか以前に作り手がなんでこの映画に「原作MW」って付けたのかがよくわからない。普通に、『イケメン殺人鬼とマッチョ刑事のはちゃめちゃ事件簿』でいいじゃん。それくらい原型無し。
ならば、それはそれで原作とは全く別のものとして楽しむという方法もあるのだけれど、この映画は原作の要素をなくすだけじゃなく故意に(と信じたい。でなきゃタチが悪過ぎる)ねじ曲げてる不愉快さにひたすら腹が立った。まず、同性愛が出てこないどころか玉木宏は女装もレイプもしない、男はひたすら強くマッチョに女はひたすら庇護されもしくは抹消されと最近じゃ珍しいくらいの異性愛主義で押してくる。制作者はさぞ正統的なホモフォビアなんだろう(そのくせ明らかに腐女子を狙ったイメージ写真集は絶賛発売中)。あと、主人公の故郷を抹消されたトラウマという要素を隠して彼を「モンスター」と呼びいわゆるキチガイ殺人鬼に収斂させた、ってそれ原作と違うどころか普通におもんない。そして、戦後という問題も隠したくせに突然ハリウッド風CGで9.11をやってみちゃった。困った困った。
主人公の玉木宏、痩せ過ぎで神父役でもないのにキリストみたいな顔になってて怖かった。逆に神父役の山田孝之、せっかくの肉体がもったいない程役立たずな存在で可哀想だった。このふたりの繋がりを肉体関係なしに描こうとしたのが全ての過ち。そっちの方が売れただろーに。
ってこんな映画は既にどうでもよく、ちょっと目を離した隙に臓器移植法改正案が通過したのですね。どえらいこっちゃ。