『アマルフィ 女神の報酬』
何かのインタビューで主演の織田裕二が「監督からは目力を抜くようにと指示された」と話してたのを読んで以来微妙に気になっていた西谷弘監督『アマルフィ 女神の報酬』 を見に近所の映画館へふらふらと。
監督の前作『容疑者Xの献身』がぼちぼち好きだったとは言え、所詮は織田裕二でしょフジテレビでしょとかなりナメた気持ちでかかったらこれが意外と。イタリアを舞台に発生した日本人少女の誘拐事件を巡る物語上のつっこみどころは山のようにある、が、しかしわりとシンプルに、図々しくも撮られていて、鑑賞中はそちらのことに気がいっていた。
例えば織田裕二、監督の演技指導が功をなしてか従来の鬱陶しさは大きく減少。行動原理も単純で、外交官だから子どもを救いたいしテロも防ぎたい、というもの。キャラクターのアクはとても薄く、所謂芸人にモノマネされる「織田裕二」とは違っている。「予備校ブギ」以来の適役じゃなかろうか。他の登場人物も同じで、母親だから子どもを取り返したい、警察だから捜査する、という単純な行動原理で動いており、典型的なのは、織田たちと唯一行動を共にする大使館職員が、いかにも頭が悪そうな(役柄の)戸田恵梨香で、その理由を織田たちに問われると「なんか盛り上がっちゃって」なのだった。そのあまりに無意味な存在に日本の芸能界の裏を感じずにはいられなかったが。
追う側と追われる側。このシンプルな図式が示すのは「人間が動くことで映画が動く」、「映画が動けば細かな疑問点はどうでもよくなる」ということで、日本では全く知られていない外国人役者たちが演じる刑事やテロリストたちが独自の存在感を示していくのに対し、職員として大使館の中に留まり続ける日本の有名俳優たち(佐野史郎等)が存在感を失っていったことは確かだろう。
と、予想以上の満足度で、人気のないローマの道端にホームレスがひとり寝転がっているシーンなんかはとても良いと思ったのだがいかんせん残念なのは、この映画が全篇イタリアロケで撮られる必然性が全くわからなかった、ってことだろうか…。東京でよくね?