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9.13

『女の子ものがたり』

ほんとは全然違う映画を見に行く予定だったのにうっかり渋谷OPENING CEREMONY (クロエ・セヴィニーライン高いよ)の罠に引っかかりまくってる間に上映時間をとうに過ぎてしまい、あたふたと近くの劇場でタイミングの合う時間にやってる映画に駆け込んでみた森岡利行監督『女の子ものがたり』。西原理恵子先生様の漫画が原作なことにいちゃもんつけるのはいい加減やめたい、が、今回もやっぱり漫画に忠実な部分は面白くて映画オリジナルの部分はだるだるだったのでした。いや、主人公が高校生時代のパートは演じてる少女たちが3人とも抜群に良くて、不気味な程無邪気なのに絶対に抗えない不幸の影がまとわりついてる感じが中々上手く感心しながら見たんだけれど、映画完全オリジナルの、それを回想してる大人(西原)の部分が、深津絵里の芝居の何がいいのか全く分からないし(あんま関係ないけどここまで肌が白いとちょっと怖い)若手編集者(誰?)とのやりとりも説明的過ぎてかったるいしそもそもなんで漫画家がスランプになってるのか何をきっかけに過去を思い出してるのか全然わからんしで、素直に女子高生たちの「女の子ものがたり」な映画にすればよかったのにと思ってしまった。まあそれだと物語に感情移入できる人以外誰も楽しくない暗い作品になってしまうだろうけど。
高校時代の西原を演じる大後寿々花(『SAYURI』の子)、美少女ってわけでもないし一刻も早く顎の矯正をした方がいいとは思うけど、久しぶりに若い女の子の芝居をいいなと思った。最近注目株の波瑠クンも良かった。ふたりが泥だらけになって殴り合って別れるシーンはさすがに色んなことで頭がぐちゃぐちゃになってボロボロ泣いてしまった。立派でした。
ただ、やっぱり、西原漫画の一番すごいところは文字の言葉だと思うのだけれど映画の中でそれをそのまま登場人物に話させるのは間違ってると思うしその意味で今更阪本順治は正しかったと再確認するのだけれど、だから今からでも遅くない、頼むから『パーマネント野ばら』の企画はなかったことにしてくれ。熟考の結果、今あれを映画化できる映画監督は日本で森崎東しかいない、はず。