『きみが死んだあとで』
久しぶりの200分ものか…何事もなく完走する自信がない…と不安を抱えながら、代島治彦監督『きみが死んだあとで』を見に行くも、途中休憩と集中力を途切れさす暇もないおもしろさと大友良英の奏でるノイズのおかげで無問題でありました。
1967年の10月、当時佐藤栄作総理の南ベトナム訪問を阻止を図った第一次羽田闘争、武装した学生と機動隊が激突、そののなかでひとりの若者が殺された、という出来事はぼんやりなんとなく聞いたことあるような79年生まれ、その若者の名が山崎博昭ということ、18歳の京大生だったということは恥ずかしながら知らず。そしてそこから繋がる68年全共闘的なものに対してはほんとに映画やTVからのイメージだけで好感は持たず、な状態で鑑賞。200分ほぼ全編、故山崎くんのお兄さんと当時山崎くんと直接友だちだった十数人の方たちへのインタビューだけで成り立っているのだが、登場するみなさんの驚異的な記憶力のおかげでただ単純に「勉強になった」ってのと、みなさんの話から浮かび上がる亡くなった「山崎くん」の青春や短い人生、それぞれが個人的に語るあの時代の記憶そのものがもうひとつの映画のように思えてきて、「山崎くん」の話から学生運動そのものの話にシフトしていく後半で、革マル派だの中核派だの不穏な言葉が聞こえるものの、劇中で山本義隆さんが話してらした「(68年をただ否定的に捉える意見に対して)あの運動はもっと重層的なもののはずだ」という言葉のように、この映画自体も決して過去の特定の時代についてのドキュメンタリーなんて一言(違うけど)では片付けられない、ご家族や友人やそして監督の色んなものが重なった重層的な魅力があるように感じたりしました。
それにしても、見ながら、ときの政府の行動に反対して文字通り人が死ぬほどの情熱と行動力を持って大学生たちが運動を起こすって、今(まさに管政権下の現在)の若者からしたら戦国時代の合戦くらいにフィクションなんじゃないかしらなんだかねと思ったりもした。