9.02
『フリー・ガイ』
ハリウッド史に残るモブキャラ顔のライアン・レイノルズがモブキャラの主人公らしい、というのでショーン・レビュー監督『フリー・ガイ』を。ほぼ満席やったし、世間でもえらい評判良いそうで。
こういう、ゲーム内現実とか映画内映画とかそういう系の映画だと、『LEGO®️ムービー』や『シュガー・ラッシュ』、そしてジム・キャリーをこよなく愛する者としては、うーんさすがに色々詰めが甘すぎるんじゃないの…とあんまり乗れなかった。いや全体的に可愛らしい映画で、子どもが見るにはいいのかなと思ったけど、でも子どもは『LEGO…』見るよね。
幾つか言いたいことはあるけどとりあえず、ここでモブキャラたち(ひいては人間たちも)が求める「自由」ってものがどういう意味なのか、もっと明確にしてから始めてほしい。意思を持つことが自由になるということ、なの?その結果、あくまでゲーム内で意思を持って生きる、ってえらい大人いしいなおいさすがモブキャラやな、ってならない?自由を得たならば、自分たちを不自由にしていた無視していた存在しなくてもいいと思っていたワイティティ社長(この人好きじゃない)に怒りをぶつけるため現実にぶっ込んでくるくらいのめちゃくちゃさがあってもよかったんじゃないのかな。そこは映画なんだし。サーバー壊して終わり、じゃあねえ。
あとまあ大いに個人的な偏見でしょうけど、この映画自体が「オタクが喜びそうな世界」感からひとつも抜け出せてないのは大きな問題かと。