『護られなかった者たちへ』
「震災映画」と聞いて若干の不安を感じるのは世の常ですが、瀬々敬久監督『護られなかった者たちへ』(にしてももうちょっとまともな人にコメント寄せてもらおうよ…)を見てもその予感は的中、うーーんと頭抱えながらトドメの桑田佳祐を聴いた。
震災から10年経った仙台で起こる不可解な殺人事件の捜査線上に浮かぶ、避難所で出会った身寄りのない若者(佐藤健)老婆(倍賞美津子)幼い女の子(清原果耶)の3人。その関係のあれやこれやを追うミステリー。中山七里って作家さんの小説はひとつも読んだことない。
いや、いくら被災地の復興が進み、町は元に戻りつつあるように見えても、震災によって生まれた無数の「護られなかった者たち」は現実に確実にたくさんいるだろう。この国はそんな人たちを存在しないかのように扱う。それと同時に、この国では生活保護を必要とする貧困層が直近のデータで164万世帯となり、その人たちも決して手厚い福祉を享受しているとは言い難い現状だ。
しかし、しかしやで。そのふたつをごっちゃにしてひとつの問題みたいにするのは無理があり過ぎるかと。貧困は震災の前からずっと存在してる問題なわけで、この描き方はむしろ誤解を生むし、被災地の人々のネガキャンにもなりかねないと思うよ。マジで。
だって、あの状況のモネちゃんがあんな理由であんなことする??映画は共感なんか求めてないと言うけれど、それでもあまりのリアリティのなさにさすがに「そんな奴おらんやろ〜」とこだまひびきも絶対言うはず(ついでに、あんなか細い女の子がひとりでやったという嘘っぽさ)。区役所職員含め、ここに出てくる「震災の被害者」のイメージがちょっと酷いかと。
無闇矢鱈に全員に闇抱えさせるから、刑事役の阿部寛の過去が全然活きてこないし、その部下の唯一震災を知らない林遣都は徹頭徹尾ただのアホ過ぎてうざい奴やし、そもそもみんなセリフが説明的過ぎて冷める。清原果耶クンはこんなに人の生き死にについて考える役ばっかり続いてしんどくならないかおばさんは心配よ。