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10.22

『LOVE LIFE』

さて深田晃司監督最新作『LOVE LIFE』を見たんですけどね、私が深田監督の最近の作品(『淵に立つ』あたりから)を見た後にいつも抱く不快感というかムカつきを、今回も同じように抱き、はてこの正体は何なんだろうと一緒に見た人に聞いたところ、非常に納得のいく答えが返ってきたので、それを今作に沿ってざっくりまとめると(作品の具体的な内容は各自調べてちょ)、常識的に振るまっていたひとが唐突に悪質なことを言ったり、気づかいのできるひとが唐突に無神経な行動をとったり、思いやりのあるひとが唐突に裏切ったり、と思いきやそれらのことを唐突に謝ったり、加害者が被害者に、被害者が加害者にぐるぐると入れかわりながら、快→不快→快→不快→快→不快……が執拗に繰りかえされる展開を見ていると、これって話の構造そのものが「DV」(爆発期→ハネムーン期→緊張期→爆発期……)になってしまっているのでは…と。
ただしDVという言葉は強過ぎる気もするので、深田監督の過去作の特徴もあわせてもう少し考えてみると、わたしたちが生きているこの世界の正体は「クソゲー」なんだと深田監督は捉えていて、平穏な日常のなかでは隠されている「クソゲー」を見せることが自分の作品では重要だと考えているのかな、とも思ったのですがしかし。
この世界はそもそも「クソゲー」だという認識は、だからこそ、他人に対するささやかな優しさや、善きものを善きと思う気持ちといった所謂「良心」は大切なのだという認識とセットだと思うのですが、深田作品における登場人物たちの良心は、登場人物と観客たちの梯子を外してより深く叩き落とすための前ふりにしかなっていないような。いいかえると、深田監督は、自明ではないはずの優しさや善きものへの評価が低すぎるんじゃないかと。
きれいごとばかりを垂れながす詐欺作品にはげんなりだけど、いっぽうで、執拗に良心を叩きつぶす様子ばかりを見せられても、世界の複雑さや残酷さについて考えさせられるというよりも、「偏った認識だなあ」としか思えないというか……。クソみたいな世界における(小さな)優しさや善きものの(大きな)価値に注目するよりも、それらの実態は依存心やエゴなのだとわざわざ指摘してみせることってそんなに重要ですかね?と思ってしまう、ということ。
で、私の抱いた不快感は、監督の狙ったものではなく、そういう選択をしていること自体になんだなと腑に落ちたのでした。だって私ARMYやし。