『耳をすませば』
まず最初に言っておくと、私は「りぼん」連載時から柊あおい先生の「耳をすませば」が大好きで、その5年後にジブリでアニメ化された映画を見たとき、「全然違う話やないかい!なんやねんこの終わり方!」と立腹しつつ、このアニメ作品の持つ、思春期の子どもが今まで知らなかった世界へと飛び込む瞬間の尊さや美しさ(からの、帰れない道カントリーロード)、みたいなものに強く惹かれつつで、結果「大嫌いだけど大好き」という非常にアンビバレントな思いを持っていたのですね(でもそういう人多いと思う)。
で、その27年後にまさかの実写化、平川雄一朗監督『耳をすませば』。文句は見てから言う派なので、見た。漫画とアニメは88年の設定で今回の実写は雫と聖司の10年後のドラマなので舞台は98年、それを2022年に映画化しているわけです。は?
はてどんなものを見せられるのかとビクビクしながら鑑賞、まさかのアニメの実写化とは想定外過ぎた。
いやマジで子役たちがアニメと同じシチュエーションでアニメと同じ台詞を話してて、一応回想シーン扱いやけど前半はほぼそれ。もはや子どもたちの芝居が「子役」過ぎてどっかの児童劇団の舞台を見てる気分に。
それなのに、アニメでは非常に繊細に表現されていた、雫が初めての物語をおじいさんに読んでもらうくだりとか、朝日を見ながらの雫と聖司の最初で最後の会話とかは都合よくめっちゃわかりやすく改悪されていて(最初に読むのは聖司、とかさ)、何がしたいのかさっぱり。ついでに、聖司がバイオリン職人からチェロ奏者に変わってるのも許せぬ。
大人になった雫と聖司の遠距離恋愛のあれこれも、「なんで?!今これ!?」でしかなくて。
多分この映画を作った人は、アニメ『耳をすませば』が「大好きだから大好き」な人たちで、「雫と聖司の甘酸っぱい恋のお話」として楽しんで、その続きとして良かれと思ってよりわかりやすく「恋愛映画」にしたつもりなんだろうけど、間違ってると思います。そりゃこれにジブリが公認出さないも超納得ですよ。
結論、芸能事務所の都合で映画作るの反対。せめてイタリアでロケ出来る予算くらい集めろ。