『春画先生』
この映画の最大の謎は、何故この企画が通ったのかってこと。本当に誰も止める人がいなかったのか、塩田明彦監督『春画先生』。
若くて可愛い主人公はその動機も説明されぬまま、誘われるがままに「春画先生」と呼ばれる歳上男の家に行き、言われるがままに春画に興味を持ち、和装して家事をし、春画先生のために他の男とセックスするし3PもするしSMもするしおしっこも飲める勢い、挙句自分は春画先生とセックスがしたいんだと感情を爆発させる(この辺でもう春画はどうでもよくなってるテキトーさ)。
公式サイトにも「コメディ」と説明があるし、ネット上の感想をチラ見するとこれをコメディと受け止めて賞賛する人が結構いたけど、そういう人たちは若い女の子が歳上男の望み通りに動く、知性も主体性もクソもない、白痴の操り人形になって走ったり喘いだりする様が面白くて笑えたんでしょうか。それはコンプライアンス時代の昨今、普通では許されないような内容に敢えて挑戦する姿勢が面白かったのでしょうか。私は、女を白痴化することが面白い時代なんて、地球が宇宙に誕生した瞬間から今まで一度もないと思います。それは7、80年代のロマンポルノ映画でももちろんそうで、今でも若者が惹かれるようなロマンポルノの名作の中に非モテ童貞の妄想みたいな映画はないはずです。誰の妄想に芹明香が出てきますか。
春画的なものを扱って、お隣の国では『お嬢さん』という映画が作られ、女性から多大な支持を得ました(個人的に好きな映画ではないけれど)。もしあの作品を「女に気を遣い過ぎで息苦しい」と思うなら、そのまま窒息死した方がいいです(一番嫌なのは『お嬢さん』も『春画先生』も褒めるタイプですけどね。本当は女性の主体性なんかどーでもいいと思ってるぶりっ子系男子)。認めたくないだろうけど人類の半分は女性ですからね、過去も未来も。
しかしあくまで自分たちは主人公を輝かせるために撮っているんだと言いたいのか、彼女の不機嫌な表情をやたらと映し、男に「魅力的だ」と褒めさせるけど、私には彼女の「怒り」という感情さえ男によって無効化される絶望感しか伝わらなかった。完膚なきまでの男仕草乙。
春画先生に出会ってしまったらば心のリミッターが外れて、自由になれた。その結果彼女のとる行動が3Pって、しょーーもな過ぎないか。若い女の心のリミット舐め過ぎやろ、大体こいつどうやって生活費稼いでんねん、セックスのことだけ考えてても若くて可愛ければ生きていけるとでも思ってんのか、いい加減にしろよ。現実に3PやSMを楽しむ人も人生の100%がそれなわけないやろ、みんな生活しとんねん。「若い女」も人間ってこと今まで知らんかったんかいな。「いやこれはあくまでファンタジーじゃん」って思ったあなた、あなたの夢の国では女が家事とセックスしかしてないけど、それ大丈夫ですか。
そんな中、主人公演じる女優さんが本当に健気に頑張ってて、見てて本気で心が痛んだ。それはそれは見事な全力疾走、迫真のダッシュで向かった先のラブホテル、涙目になって必死に放つセリフが「私と7日間ホテルに篭って、寝食も忘れてセックスしてください!お願いします春画先生!(大意)」よ。キメセクにハマったシャブ中設定でもないのに、辛過ぎるでしょう。本当に、これの何が面白いの。笑ったらあかんよこんなの。彼女のために怒れよ。
って書きながら思い出してるだけで心臓がバクバクする、思い出すのも怖いほど最低な映画だったのだが、なんか、多分若いときからいっぱい映画を見て、いっぱい真面目に映画のこと考えてきた人が、60も超えて作った映画がこれって、すっごい悲しい気持ち。映画って現実との関係の中で見たり考えたりするものと思ってたけど、こんな風に一方的な欲望を見せつけられるものとしてあるのなら、もう映画なんて見ない方がいいのかもしれない。辛ぽよ。
何より一番辛いのは、この映画はコメディではなくホラーだということ。その理由は、まんま『映画先生』として、ロマンポルノに詳しいシネフィルおじさん先生が女学生相手に完全リメイクできてしまう事実。キモ過ぎて怖い、キモホラーという新しいジャンルの誕生。くわばらくわばら。