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2.20

『一月の声に歓びを刻め』

過日東京で、三島有紀子監督『一月の声に歓びを刻め』を見た、と大阪で書く。ネタバレ御免。
三章に分かれた物語、第一章の舞台は雪だらけの北海道は洞爺湖、洒落たログハウスに住むカルーセル麻紀を訪ねる娘一家。どうやらこの家族にはもうひとりの娘が幼くして性被害に遭ったことを苦に自殺したという悲しい過去を抱えているらしい。第二章の舞台は八丈島、島でひとり暮らす哀川翔の元に8年ぶりに帰省した娘。このふたりには事故に遭った母親の延命治療を止めたという罪悪感を抱えているらしい。第三章は大阪、元恋人のお葬式に出席した前田敦子から始まるのだが、彼女には6歳のときに性被害を受けた過去のせいで自分の身体が汚れているという意識から逃れることができないらしい。
映画の中で彼女 /彼らの「罪」が溶け合っていくのが大変にドラマチックで素晴らしいのだが(カルーセル麻紀にそんなことさせる!?とかなりびびった)、その中でもやっぱり、三島監督の実体験が基になっている第三章が胸熱でしょうか。
前田あっちゃん演じるれいこには大好きな恋人がいたが、自分の身体が許せないため、彼とはセックスできなかった。彼のお葬式後、通りすがりのレンタル彼氏とセックスしたことをきかっけに、事件(性被害)後初めてその現場に行き、過去と向き合う(この長回しのあっちゃんは本当に立派、一見の価値有り)、という姿が映画には映っているのだが、それが性被害に遭った人間のすべてではもちろんなく、れいこにもそれ以外の姿が存在する。
お葬式のあと立ち寄ったマヅラ喫茶店でとよた真帆演じる母親が若い彼氏にれいこのことを「北九州の門司でガス給湯器のやり手営業ウーマンとしてバリバリ働いている」と説明するセリフがあるのだが、それはつまり彼女が(やりがいを感じているかはさておき)少なくとも同僚やお客さんから信頼を得て生きているということである。大阪を離れ北九州で過ごした、自分で作り上げたその時間がれいこをこの場所に連れ来たのであり、私はゆきずりの男とのセックスが彼女に肯定的な変化をもたらすとは思えない(むしろあんな状態でのセックスは自己嫌悪しか生まないと思うのだが…)。いいかえれば、トトと名乗るレンタル彼氏とのセックスがれいこを過去に向き合わせたのではなく、すでに彼女は過去に向き合う準備ができていたのではないかと思うのである。そしてれいこと同じ過去をもつ三島監督は、映画監督として作品を撮り続けてきたことによって、やがて「必然的に」この作品にたどり着いたように(パンフレットによれば、地元の堂島で交わされたスタッフとの会話の中で自然と自分の過去を映画にしようと決めたらしい)。そして、そのこと自体が「人が生きていくこと」に対するひとつの「希望」だと感じた。
共通する辛い過去を抱えながら、しかし、バリバリとガス給湯器を売りながら毎日を生きていくれいこと、バリバリと映画を作りながら毎日を生きていく三島監督。そのことに泣く。