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2.22

『哀れなるものたち』

キモい映画って似るんだなとしみじみ、ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』を見ながら思い出したのは塩田明彦監督『春画先生』。まあ今作は世間には概ね好評、オスカーにノミネートされまくってるぽいけど。
妊娠中に自殺した若い女の体にマッドサイエンティストが彼女の胎児の脳を移植(出来あがったのは体は大人、心は乳幼児の逆コナン女性)して彼女を育て直す話が幻想的な映像と美術で描かれるんだけど、これも『春画 …』もまず女を痴呆化しなきゃ気が済まないのがまずキモい。
で、精神的には子どもなのに性の快楽に目覚めてしまい、チャラい弁護士とのセックスにハマりまくる。そのセックスシーンが執拗に映るのだが、それが妊娠や病気の危険性も知らない(教えられてない)知的障害者をレイプしてるような、本当に気持ちの悪いものにしか見えない。監督は多分ヘルツォークみたいな悪趣味がしたかったんだろうけど、全然ダメ。ここでも体張りまくってる主演のエマ・ストーンがただただ不憫。誰か守ってやれよ。
で、そのあと外の世界や様々な他人と触れ合う中で知識や知性を身につける歓びに目覚め始め、「自分のことは自分で決める」と言い出すも、自分で決断した結果が娼婦になることって、えらい男に都合のいいフェミニズムですなあと苦笑(気高い娼婦の存在は重要だけれども、お前(男)が言うな)。ここでも不快なほどのセックスシーン連打。これに何か効果があると思ってんのかな。ないよ。
大体テーマになってる「知識を獲得して自分自身を取り戻す」というフェミニズム自体も「まだそこ?」感があるし、「男による所有」を問題にしてるわりには女の方から結婚を望むとか、おもしろくないし間違ってる。
極めつけはラスト、すっかり一人前の自立した大人の女性になった主人公は、女を抑圧する元旦那にヤギの脳みそを移植して動物化し、自分のことを盲目的に愛し尽くしてくれる男を夫にして満足気。見ながら、私たち(女性)が求めている世界がこれだと思われてるのかと絶望しかない。いくらパートナーが同性であっても、どんな状況でも異性と対等な関係であることが重要なのであって、男女の立場の逆転なんて誰も求めてない(この辺もそっくり)。まあランティモスさん、女に媚びたつもりなんでしょうけど、失敗。