BLOG

4.19

『四月になれば彼女は』

なんか最近映画好きのあいだで評判のいい映画しか見てないな映画グルメみたいで気持ち悪いな私と気づいたので、急いで川村元気の原作小説を映画化した山田智和監督『四月になれば彼女は』を見に行った。そして無事「クソ映画を見る」という目的は見事達成されたのだが、この映画、興行収入は10億近くになりそうだという。つまり、バカにできない数の人たちがこれを見るために劇場に足を運んでいるのである。サイモン&ガーファンクルは一度も流れないのに!(主題歌は藤井風)精神科医が患者に手を出すという超アウトな内容なのに!
日本映画にしばしば発生する謎ワード「川村元気」(ちなみに私とタメ)。彼は一体何者なのかーーー。
といって私は川村元気について熟考するほどもの好きでもないので、近くにいたもの好きな川村元気有識者に問うてみたところ、川村元気とは、シネフィルや映画好きのひとたちからすれば評価・吟味・批判云々以前の「フルシカト」状態に置かれており、たまーに取り扱われても、近年の新海誠や是枝裕和作品プロデュースしひと、程度の認識にとどまっているようだ(そしてそれもしょうがないことかもしれない。映画のプロデュースと監督以外にも、脚本家広告・イベントの企画、小説家、絵本作家と翻訳(!)などなど、手広くやりすぎて実態がつかめないので。あるいはそれ以前に、過去に川村氏からいじめを受けた、財産を騙し取られた、故郷をの村を焼かれたなど嫌われる理由があるのかもしれない…)しかし近年の新海誠や是枝裕和作品をプロデュースしひとという事実だけに注目したとしても、彼が現在の「日本映画」を考えるうえで避けて通ることができない人物であること間違いないのではないだろうか。
『4月になれば彼女は』は川村氏の小説を原作とした映画で、プロデューサーも監督も担当してはいないが(クレジットでは原作・脚本)、私は彼のまぎれもない最新作として見た。というのも、宣伝に登場しているのはほぼ川村氏で、監督は驚くほど前に出てこないし、実際に作品を見て、彼の小説映画化した過去作品と比較してみると重要な共通点があるからだ。
彼の小説は未読だけど、映画化した4作品すべて見ていて、それらに共通しているのは「もし世界から◯◯が消えたら」というテーマである。
もしも世界から猫が消えたならでは命、『億男では、『百花』では記憶、そして本作4月になれ』では恋愛感情主人公の前から唐突に消えてしまう。誰にとっても切実でありながら、しかし同時になものでもある見えないものと自己との関係を描くことが重要だ、という川村氏の姿勢は、本作における私は目には見えないけど、そこに確かに存在しているものを撮りたいという森七菜クン演じるカメラ女子(…)の台詞に集約されているといっていいだろう。さらにいえば、それらの作品で共通して語られているのは、喪失感を抱えた人間たち美しい自然と曖昧に一体化することで、最終的に喪失感を克服するという疎外―回復の物語、というものなのだ。
すこし具体的にいえば、『四月になれば』では、ウユニ・プラハ・アイスランドといった世界の観光名所」ロケが行われている。そこで撮影された映像には、たとえば、新海誠作品の特徴のひとつとして挙げられる「実写のように美しい」とも評される緻密なアニメーションによる風景を(?)実写しましたとでもいうようなまるで「世界の果て」のような風景が広がっているのだ。しかしその壮大さ(?)の一方で、登場人物に起こるのは、過去の恋愛=元カレを思いだすことでありその気持ちを綴った手紙の内容が、「世界の果て」のような風景にモノローグ重ね合わされるという演出がされている。いいかえれば、ウユニ塩湖もプラハの街もアイスランドのレイキャビクも不在元カレに会うための、過去と現在をつなぐためのシンボリックな装置として使われていると考えるべきなのである。

映画批評家の安井豊作はこのような特徴をもった作品について96年の時点で次のような指摘をしている。

<たとえば、メディア化された映画としてはさしたる違いのない岩井俊二の『Love Letter』と是枝裕和の『幻の光』という二本の作品がある。繊細な感性の持ち主たちは、この二本の作品をめぐって、あいもかわらず映画的であるか否かを論じている。彼あるいは彼らは気づかないのだろうか。岩井俊二や是枝裕和が、『眠る男』の小栗康平や『(ハル)』の森田芳光らとともに、あるいはほかのメディアでいえば、小林武史(ミスター・チルドレンのプロデューサー)や野島伸司(テレビ・ドラマ「高校教師」、「人間・失格」等の脚本家)らとともに、大がかりなシステムの内部で、「哀れで美しい日本」とでもいうべき日本回帰のイデオロギーを媒介し、流通させていることを。>

この指摘から約30年が経過した現在において、すでに岩井俊二是枝裕和、小林武史たち一緒に作品を作っ川村氏は、哀れで美しい日本=美化された自己像を数多く世に送り出してしてきた彼ら正当な後継者として位置づけるべきだし、言うまでもなく新海誠もここに加えるべきだろう。岩井、是枝、新海、と個人だけでは繋がりが見えにくい現代日本映画を代表する人気監督たちが、「川村元気」の存在よって見事に繋がるのだ。すごくない?
さらには、
具体名はいちいちあげないけれど、現在進行系で「哀れで美しい日本」を文学的・美学的に表象している若い監督や脚本家やミュージシャンたちは他にも多くいる。彼・彼女らはこのまま自覚/無自覚関係なく、川村元気キッズになってしまうのだろうか…。

ところで、『四月になれば…を見たひと(周囲には全くないし今後も増えることはないと思うけど)、『花束みたいな恋をした』とセットで見る考えることをお勧めする。坂元裕二が脚本を担当したこの作品は一般的に恋愛映画して流通しているはずなのにその実態は「どこにでもい平凡な若い男女のドキュメンタリー」であり、「哀れで美しい日本」映画は、まさに彼や彼女(主人公たち)のような「恋愛の失われた世界」を生きる人たちに向けて作られている、コインの表と裏の関係にあるからだ。
蛇足、まだ映画化されていない川村最新小説『神曲』宗教信者や元信者など100人以上への取材をもとに書かれていて「神の正体がテーマになっているとのこと