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5.08

『エドガルド・モルラータ ある少年の数奇な運命』

ニューテアトル梅田さんにマルコ・ベロッキオ監督『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』を見に行ったら、かなり年齢層高めのお客さんばかりで、これはベロッキオ人気なのかイタリアの黒歴史人気なのか。
1858年、ボローニャのユダヤ人街に暮らすモルターラ家(子沢山)に突然教皇ピウス9世の命を受けた兵士たちが押し入り、6歳の息子エドガルドを「何者かに洗礼を受けた」という理由で連れ去ってしまう、って流れを見つつ、洗礼を受けたらキリスト教になるから、ユダヤ教徒の親がキリスト教徒の子どもを育てたらあかんってことか、と脳みそフル回転。
息子を取り戻そうと裁判を起こしたり世論を巻き込もうと両親は奮闘するも教会とローマ教皇が全然返してくれない。今の日本だとつい統一教会信者と家族の関係を想起するようなクレイジーな世界が、時の権力者によって行われている(と書いて、でも自民党が統一教会って考えると今も同じか…と辛い気持ち)。
ゴージャスな音楽、壮大な教会、否が応でも上がるテンション。エドガルドくんどうなるの?そもそも誰が勝手に洗礼受けさせたん?とやきもきしてたらその答えにかなりびっくりしたんですけど、洗礼ってあんなショボいものなの!?これはさすがに家族が納得できないのも納得…。
結果、あれを洗脳というのか信仰というのかわからないけれど、エドガルドくんの人生はおとなたちに翻弄され、時代は流れ社会は変わり教皇が倒されても母は変わらない、家族は元に戻らない。酷い話や…って言いかけたけど、ベロッキオのインタビューによるとあのあとエドガルドくんは末長く家族と良好な関係だったそうで、宗教も人間もややこし過ぎる…。