『プレゼンス 存在』
結構前に引退宣言してなかったっけとWikipediaを見てみたら知らん間にめっちゃ撮ってた(そして特に好きでもないのに結構見ていた私)、スティーブン・ソダーバーグ監督最新作『プレゼンス 存在』。劇場の8割は埋まっていたのだがその9割が中年男性客で、そんなに女性人気はないのかとちょっとびっくり。もしくは女性客は再上映中の『ローガン・ラッキー』(17年)に片腕のないアダム・ドライバーを見に行っているのか。
全編幽霊目線というカメラ(撮影も監督なのか)、あるワケあり家族が大きな一軒家に越してくるが「それ」はその前からその家に存在し、その家族、特に家族の中で孤立している十代の娘クロエを見つめ続ける。
幽霊が見つめる一家の日常をワンシーンずつ繋いでいるだけなのに、そこで起こっていることがどう転がるのか幽霊と一緒にハラハラしながら黙って見続けるしかない新感覚おもしろい。見てるだけで何も出来ないって、幽霊ってやっぱり孤独やな…と思っていたら何も出来ないこともなかったりして、その中途半端さがちょっとよくわからなかったりもした。
クロエの「幽霊と想いがつながっている」という言葉は、なるほどだからこの映画は幽霊を扱っているけど怖くないのかと納得。幽霊の5万倍はレイプドラッグの方が怖い。アメリカの若者怖い。薬物はダメゼッタイ。この幽霊は過激フェミニストなんだろう、ここまでやるのかという結末は衝撃であった。
ホラーとしての怖さはないが、最後に母親(ルーシー・リュー)があの鏡を見て上げた叫び声が聞いたことないような異常な声で、めっちゃゾッとした。
この映画が84分、脚本家もアメリカの大御所(デビット・コープ)で監督もそこそこのベテランなのに「いやー、普通に面白かった」と軽く満足してしまう感じ、この感じがソダーバーグなのか。