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4.16

『HERE 時を越えて』

久しぶりにシネコンチケットネット予約日にち間違いをやらかしたあと(以前はそれでもいれてくれたのに!)、ロバート・ゼメキス監督『HERE 時を越えて』。原作コミックは読んだことない。
なんとまあ変な映画で、アメリカのどこか、そのどこかの古代から現代までを固定カメラで定点観測のように映す、だけ。その場所には途中で一軒家が建ち、途中からはその家に住むあらゆる時代の家族たちの人生の一部を映す。
まるでそのカメラがじーっとそこで起こることを見ているような感覚は住人には見えない幽霊のようで、ソダーバーグ『プレゼンス』っぽくはあるけど、でも今回はまったく動かないカメラやもんなあ。誰かの視線って感覚ではないのか、相変わらずゼメキスさんはおかしなことをしはる人や。ある時代のスクリーンの一部が次の時代と同時に映ったり音が流れたり、見たことのない映像体験であったことは確か。
メインキャストと言えるトム・ハンクス&ロビン・ライト(『フォレスト・ガンプ』)は十代から八十代?までを自身で演じてるけど、CGで巧妙に顔が老けたり若返ったり。もはやトム・ハンクスの今のリアル姿がわからない。
このカップルが交際し子どもが産まれ幸せな時間を過ごしたりすれ違う時間を過ごしたり妻が家を離れ夫がひとりになる様子を断片的に知ることになる。長いけど一瞬でもある時間が流れたあと、カメラが初めて動いた瞬間、私の体には全身サブイボが立ち激しい嫌悪感から動悸息切れを起こす。
あんなに妻が家を出ていく理由を明確に言っていたにも関わらず歳をとって記憶障害的なものを抱えてしまったら彼女の苦しみは無視され自分を閉じ込めた夫と家に感謝して「この家が好きだった」とか言わされる人生、グロテスク過ぎて無理過ぎる。こんな人生死んでも嫌、これが感動物語とかなんの冗談かと(まあこれが人類の歴史といえばそうなのかもしれないが)。
ゼメキスさんは多分人の心がないマッドサイエンティスト系監督だと思うので女性の尊厳よりもCGとかVFXに興味があるんだろうけど、別にこの映画を泣ける感動作としても作ってなさそうな気もする。この映画で感動するとすれば70も越えてこんな映画作ろうと思ったゼメキスの気合の入った変態っぷりであろう。