『片思い世界』
試写で見せてもらって泣き、劇場で再見してまた泣いた、土井裕泰監督『片思い世界』。小学生時代は私も合唱部。
おそらく都心の超一等地にある豪華な一軒家に住んでいる広瀬すず、杉咲花、清原果耶。ラブリーなインテリアに囲まれて、お洒落なスタイリングできゃっきゃと戯れあう3人の姿はひと昔前の少女漫画を実写化したようで、すごくキラキラしている。とはいえ、さすがにキラキラが過剰やろ〜とツッコミを入れたくなるところでその正体(?)が明らかになります(以下、ネタバレ)。
このキラキラ・ワールドは「死者の世界」で、彼女たちは無差別殺人事件の被害者で幼いころに殺されてしまったのだが、「死者の世界」で力を合わせて生活(?)して、事件から10年が経って成長したのが現在の3人ということ。
「死者の世界」と「生者の世界」では時間と空間が共有(?)されているようで、彼女たちは毎日規則正しい生活をしている。起床したら朝ご飯を作って食べ、職場や学校にバスで向かって仕事や勉強をして、夕方にはスーパーで食材を手に入れて帰宅してから晩ごはんを作って食べ、食後には寝るまで3人で映画を見たりしている。
では「死者の世界」と「生者の世界」の違いがどこにあるかというと、「生者の世界」の人たちは「死者の世界」の彼女たちをまったく認識できないけど、「死者の世界」の彼女たちは「生者の世界」の人たちの姿を見ることができるし話も聞ける、物体に触ることができるし乗り物にも乗れるけど、「生者の世界」に影響を与えることはできない。それが理由で主人公たちは悩んだり葛藤したりするのだけど、私としては映画が進んでいくほど「死者の世界」の都合のよさへの違和感が増えていってしまい、彼女たちの〈現実〉に説得力を感じなくなってしまった……。
しかしそのいっぽうで、死んだ彼女たちのことを想いながら「生者の世界」で日々の生活を営む人たちを見ていて、わたしは泣いた。再婚して花屋を営んでいる杉咲花の母親(西田尚美)や、ピアニストとして将来を期待されながらも現在はスーパーの店員として働く横浜流星が、心のうちに秘めていた、死んでしまった彼女たちへの想いを語るシーンはとても強い説得力があった。理不尽な理由で幼い娘をなくした母親、気になるあの娘のためにコンビニに向かったほんの数分の間に自分だけが生き残ってしまった男の子。大切な人を失ってなお愚直にこの現実を生き続けるふたりの姿には心を動かされたのだ。
それに対して、あまりに残酷な死にかたをしてなおキラキラしながら死後の世界を生き、「わたしたちはこっちで元気にやってるよ」話す3人の女の子たちに何を思えばいいのか、正直困惑してしまった。
つまり、日本を代表する人気若手女優たちが出ずっぱりで演じる「死者」という存在の説得力と、事件後も現実を生きている人間たちの説得力の違い、その非対称性がこの映画を見終えたときの違和感の正体な気がする。
死者の気持ちを都合よく代弁したり、死後の世界をキラキラコーティングすることについては藤井仁子さんのブログに書かれていることに全体的に同意なのでそちらを読んでもらうといいと思います。