2005年

○ 公園において

『河の恋人』、ある日の撮影。
公園の中を通る道を、二人の女子高生が歩いている。話している。
その姿をカメラに納める。納めようとした、が、こんな単純なシーンが恐ろしく難しい。
撮影の松本が言う。
他のシーンだったらいいかもしれないが、ここでは、背景に、通行人が歩いていない方がいいと。
確かにそうだと納得する。
歩いていたおばあちゃんが、カメラの画隔からいなくなるのを待つ。
「本番、よーい、......ちょっと待ってー」
一人がいなくなったと思ったら、また一人。
公園内のあらゆる場所から、ポツポツと、おじいちゃん、おばあちゃんが現れる。
その日、スタッフは9人。
その内の半分のスタッフは、手が離せない。残りの者が、本番の間だけ、道行く人々に、申し訳ありませんが少しの間待ってもらっていいですか、とお願いしに行く。
「本番、......だめだー」
スタッフが配置されてない場所からも、人々は現れる。
そのとき、痛感した。
現場にスタッフが40人前後いるプロの現場と、自主の現場の決定的な違い。

人止め、車止めが完璧にできない。

画隔の中の世界を、思った通りに、意図した通りに作り込もうとするのだが、そんな簡単にはいってくれない。
その公園において、奇跡的に、通行人が1人も現れないタイミングが来るのを、祈りながら待つしかない、という事態に陥る。
「今いける、今いけるよー、カメラ回してー、はい、本番、よーい......」
「ごめんなさい、飛行機」(録音部)
現実はこうなる。

物凄く、簡単な話なのだが、この人止め、車止めが十分にできない、という状況は、撮影の最終日まで付いて回った大問題であった。
画隔の中を制御しきれない。
だから、自主の現場においては、制御されないその世界を、そのフィクションの世界に逆に取り込むという作業が必要となってくるのである。
単純なことなのだが、その作品が生み出す世界の作られ方を左右する、とても大きな要素となった。

どこにラインを引くか、という問題。
アルフレッド・ヒッチコックは、できることなら一本の映画すべてをスタジオセットにおいて撮影したいと思うくらいセット撮影を好んだ人として知られているが、それは、あらかじめ頭の中で設計したイメージを徹底的に、寸分違わず視覚化(聴覚化)することが目指されていたことを意味し、その彼がどこにラインを引くかということが問題になるのであり、彼はフランソワ・トリュフォーが行ったインタビューの中で、自作の『ロープ』について触れ、こんなことを言っている。「(複雑な移動撮影を行いながら、同時録音をするために、)ひとが歩いても音のしない特殊な床をステージにつくらせたものだった」(『映画術』フランソワ・トリュフォー 山田宏一・蓮實重彦訳 晶文社)。
この場合の「ひと」はスタッフのことを指し、セット内をカメラを移動させながら歩くスタッフの足音までをも、徹底的に消したわけである。
撮影場所が、ひとたび外に出るだけで、光、音、風、気温など、様々な偶然の要素が入り込んでくることとなる。現在作られている映画の殆どは、この状況下で制作されているわけであり、そういった場合、どこに、その「制御するライン」を引くか、といったことが問題になるのである。
プロの現場においては、その能力においても、人数においても、問題を制御するだけの力がある程度備わっているのであり、その現場においては、制御しきれなかったことが、その作品にとって妥協すべきマイナスの部分だと見なされることが往々にしてある。そのマイナスの部分をどこまでフォローしきれるか、それによって予定していたイメージをどれだけ最大限実現させられるかが、プロとしての腕の見せ所となるのである。
スタッフが十分にいるはずもない(中にはあるとは思うのだが)自主の現場においては、腕の見せ所どころではなく、単純に人が足りず、制御することを選んだとしても、恐ろしくそれに時間を要し、結果的に、撮影を終えることなく日が暮れてしまいました、といった事態に陥ってしまう。
では、制御しきれないことが、映画というものにおいて、マイナスであると簡単にできるかと言えば、そんなことはないはずなのである。
先ほども例に挙げた、『朗読紀行 にっぽんの名作』シリーズにおいて、気づいたことがある。
根岸吉太郎監督『戦艦大和の最期』の中に、読み手の村上淳さんが、新宿の雑踏の中で朗読している場面がある。背景の道行く人々の騒がしさとは裏腹に、村上さんの声だけがはっきりと浮きだって聞こえてくる。まるで背景が嘘であるかのように。しかし、確実に、それは同時録音において録られた音だった。おそらく、そのとき使用されたマイクは、村上さんの胸元に仕込まれたワイアレスマイクだけだったのだろう。朗読をはっきりと聴こえさせることが、その作品世界を生み出すにおいて、第一とされた結果であったのだろう。作品自体が、「朗読番組」なのである。
その後、黒沢清監督の『風の又三郎』に参加したとき、録音部の郡弘道さん(このとき、録音部は1人だった)がされている作業を見て、その決定的な違いに気づいた。
小泉さんにワイアレスマイクを仕込みながらも、ガン(指向性)マイクを使って小泉さんの頭上からも狙い、胸元のミキサーで二つのマイクから拾われた音を調整しながら録音している。作業の合間に、郡さんに話しかけ、そのことを訊いた。
郡さんは、小泉さんの朗読の声をはっきりと録るというよりは、その(ロケ)場所、その空間の中で響く、小泉さんの声という音を、その音の広がりを残したいのだと言う。
作品前半、ケーブルカーの駅の手前で小泉さんが朗読している場面。
山奥の静けさ。が、よく聴けば、遠くに救急車のサイレンの音が入り込んでくる。現場において、誰もが、そのサイレンの音に気づいていた。プロの現場においては、こういった場合、NGが出されることが多い。しかし、郡さんはOKを出していたのだ。小泉さんの声と、予期しない外部の音とを切り離すのではなく、それを一つのものとし、一つの音の総体として、録り込んでいたのである。
音だけでなく、この現場において、作品世界に取り込まれた意図されない事態は数多くあった。
廃ホテル内での撮影。前日に降った雨が屋上に溜まり、それが雨漏りとなって、室内に雫を垂らす。その雫によってもたらされた室内の水溜まり。
廃遊園地での撮影。降り続く雨と、寒さによって、BカメのVX2000のレンズの中に、結露が生まれる。画面内に、ぼんやりと、白い煙のようなイメージが映り込んでしまう。
そのことを黒沢監督に伝えにいく。黒沢さんはファインダーを覗いて確認した。「いいじゃない、これ」と笑った。
意図されない事態を、むしろ喜び、予想もしなかったことを楽しんでいるようでもあった。
取り込まれた意図されない事態が、その作品世界を形作る一つ一つの小さな要素となって、重なり合わさっていく。
どこにラインを引くか。
黒沢さんと、ヒッチコックでは、その制御するラインが対極にある。
その時代、環境の異なるこの二人の監督を比較しても、仕方のないことではあるのだが、単純にこの違いは面白いと実感した。
プロの現場において、黒沢さんのような判断を下すことが主流かと言えば、そんなことはなく、どちらかと言えば、マイノリティに部類されるだろう。
プロの現場においては、助監督を含めたあらゆるスタッフが、予期しない事態を制御していくよう訓練されているし、そのように思考する癖のようなものが出来ている。このことは、プロの現場を単純に批判していることを意味してはいない。
批判など、している場合ではないのである。それはそのまま自分に返ってくる。
自由に作っていいはずの、自主映画の制作現場において、自分が、そのラインをどこに引くか。カメラの向こう側の世界を、どのようにとらえていくか。大問題なのである。プロではこうしていたから、それに従えば映画になるかもしれない、なんていう問題ではないことは分かっていた。

○ 渡良瀬遊水地にて

『河の恋人』クランクインは、渡良瀬遊水地にて。
この作品における、かなり大事な場面を、この野っぱらにて撮影しなければならなかった。できることなら、撮影スケジュールの後半に持ってきたかった場所である。が、しかし、その三日後には、地元の「葦焼き」という行事によって、辺り一面、焼け野原になる運命。クランクインを早めようにも、役者がほとんど現役の女子高生なため、その春休みという問題が重くのしかかり、スケジュールの動かしようがない。よって、撮影初日、二日目に強行。
撮影初日。強風。
立っていられないくらいの、強い風が、体を打ちつけてくる。
役者志望でも何でもない、いわゆる普通の女子高生が主役。
あまりに強い風、瞼を開ければ砂埃が目に入る、そんななか、訳の分からない映画の撮影現場などという場所で、あれやこれやと指示をされる。
腹を立て、悔しくて涙を流している。
現場ストップ。
大丈夫? と隣に一緒にしゃがみ込み、声を掛ける。
「大丈夫なわけないじゃない」
低い声だった。
顔を見れば分かった。
「こんなこと、引き受けるんじゃなかった」と書いてある。
スタッフから少し離れた場所でのやり取り。
数日後、撮影の松本と、あの時はどうしようかと思ったよ、と話していると、松本が驚いている。
「あれ? 役に入りすぎて泣いてたんじゃないの?」
「......おれにむかついて泣いてたんだよ」
「うそー。なんて芝居に入る子なんだろうと思って、めちゃくちゃ気合いが入ったんだよ」

初日、初めて組まれたスタッフ陣、役者も初めての現場、どんなに経験があっても、スムーズに撮影は進むはずがない。
カット割りは事前にしっかり組んでいた。
日暮れまでに、7シーンを撮らねばならない。
時間を節約するために、カットごとにいちいち撮影した素材のモニター(テープ)チェックは行わないと決めた。カメラの松本とは、ロケハン時から、かなり綿密に話し合っていたので、信頼していた。この甘い考えが後に悲劇をもたらす。
何とか全て撮り終えた。
撮影後、テープチェック(撮影は、パナソニックのDVX100を使い、DV24Pアドバンスにて行った)。
テープにノイズが入っていた。
スタッフがみな盛り上がるような、長回しの、この作品においても重要なシーンに、ノイズが数カ所入っている。
風のせいだった。
その日の尋常じゃない強風は、目に見えない多量の砂埃をカメラに叩き付け、カメラ内に侵入したそれらが、テープに傷をつけていた。
スタッフが感動していたシーンは、すでにこの世にない。
「風を甘く見ていた」と、松本が落ち込んでいる。
だが、各カット撮影ごとに、テープチェックをしないと決めたのは自分だった。
次の日は、悪天候。
二日後は、葦焼きが予定されている。
背の高い葦が広がる背景は、焼け野原となってしまう。絶望的だった。
ノイズが入っていない箇所を何とか使って、編集するしかないのか。
悔しくて仕方ない。
松本と、この台本が書き上がった頃から、一番話し合っていたシーンだった。
だが、その二日後、強風のため、葦焼き延期。
次の週、撮影休みとしていた日を潰して、そのシーンを撮り直すためだけに、最後のチャンスとして、栃木へと向かった。
途中の高速パーキングエリアにて、呆然とする。
降り続く雨が止まない。
現場まで行って、雨が止むのを待つしかないとした。
現場に着く。雨は止まない。
止んだところで、地面は濡れているし、明かりは最悪だった。
初日の、河の水面に反射する柔らかいオレンジ色の夕日の光は、二度と現れそうになかった。
幸せなシーンにしたかった。
スタッフは、判断を待っている。
その場で、台本を直した。そのシーンを雨の設定に変えた。幸せなシーンだからって、柔らかい光の中で映されなくてもいいじゃないか。ネズミ色の世界で、雨に打たれながら、しかし、主人公にある救いがもたらされてもいいではないか。そう思い直した。目の前の現実を受け入れよう。受け入れるだけでなく、悔しいから、それをこの作品を面白くするために逆利用してしまえばいいのだ。辻褄は何とか合わせられる。スタッフ一人一人に、そのことを伝えにいった。主役の子にも、伝えた。
今日撮るよ。

[2005.8.9]