2008年 3月
朝起きると雪。
引っ越してきた家は広くて。
玄関の前にはロータリーがあって、真ん中には松が三本、
見回すと、学校の校舎くらいの高さの欅が三本、
柿、百日紅、梅。
畑があって、竹林があって。
着込んで、朝から、足跡残しながら、歩く。
何か生き物の足跡見つけて、もうそのときは探検家で、
覗き込んで歩いて、小さい欅の前で消えて。
足跡、なくなった。
なくなったよ、どこ行った、不思議ねと思って、
上を見上げると、枝に何か。
何だろ。
しばらく見ても、分からず、じっと見つめて。
五分ほど。
ちょっと動く。
あ、生きてる。
何だろ。
しばらく見ても、分からず、お母さーんって、
家に駆け込んで、ちょっと来て何かいる何かいる。
引越し作業でそれどこでなく。
二つ年の離れた姉が来て。
何だろね。生きてるね。
出先から父が車で帰ってきて。
何かいるの、発見したの。
車を降りて、父が来て。
見上げる。
ミミズクだ。
ミミズク。
小学校、三年生に上がる春休み。
見つけたのは、枝に逆さにぶら下がった、ミミズクだった。
名前があるものとは思わなかった。
転校したての小学校の図書室から、鳥類図鑑を借りてきて、
ページを繰っては、ほんとはコノハズクだったんじゃない、
いや、やっぱりミミズクだったかしら。
美術の授業で、粘土でミミズクだか、コノハズクだか、
捏ねて、焼いた。
母がこれ好きと言って、うれしくて。
目は、涙を溜めてるみたいに、さみしい。
gojoがホームページ作って。
作ったけど、コンテンツ、日記しかなくて。
さみしいから何か書くよと書いて。
あれからそろそろ三年。
増えました。
よかった。
もう書かなくていいでしょ。
いや、書いて。
なんで?
たまにちらほら、書いて。
東京駅で、警察官に止められて。
ちょっと君、荷物見せて。
中身見せて。
何でですか。
どきどきして。
ひとしきり、確認して。
君、どこ行くの?
花巻です。
チケット見せて。
見せる。
何しにいくの?
旅行です。
家出じゃない?
家出じゃないです。
花巻駅の改札を抜けて。
どうしよう。
下調べしてなくて。
目についた立ち食いそば屋でおそば食べてるお姉さんがいて。
宮沢賢治記念館どこにありますか?
お姉さんは、うんうん、ちょっと待ってねと、汁を飲み込んで。
終わるまで待って。
こちら見て、連れてってあげる。
ありがとう。
お姉さんの車に乗って。
会話はなくて。
着いた先は記念館で。
お姉さんは、車を降りると、入り口に立つ。
はい、じゃあチケットお願いします。
あ、はい、と差し出して。
お姉さんは受付の人だった。
北上川の土手に座って、「よだかの星」を読んで。
「そろそろだよ」って声がして。
何だろって、顔上げて。
誰もいなくて。
見上げた先には鷹が飛んでて。
うん、そっか、そろそろか、と納得して、歩き出したら、雨。
傘持ってなくて、雨に濡れながら、土手を歩く。
声なんか、聞こえてなかったかもしれない。
宮沢賢治が描いた、ミミズクの絵が好きだった。
高校生のとき。
あれから、黒沢さんの『風の又三郎』に演出部でつくまで、
読んだことはない。
『河の恋人』を撮影してから、ちょうど三年が経つ。
ようやく、めでたく、公開してくれるという劇場に出会った。
公開に向けた、チラシ用の写真撮影を、今度おこなう。
主演してくれた女の子と、久し振りに会うその日は、
たまたま、三年前にクランクインした、その日と同じ。
葦焼きの季節。
姫路に行く前日に、ちょうどやってたアテネ・フランセ文化センターの
特集で、フレデリック・ワイズマンの『コメディ・フランセーズ』を見て。
何か分かった気になって。
ドキュメンタリーって、そういうことかと思って。
姫路に乗り込んで。
探したのは、如月さんだった。
如月さんがいた場所。
如月さんがいた10年。
如月さんを想う地元の人たち、東京のスタッフ。
レンズの向こうに如月さんを探して。
いつか気づいて。
探してるものなんて、映りはしなかった。
湖と山に聳える大型児童館。
幼い息子を抱えて歩く、お父さんの背中、
お母さんが走って現れて、手を振りながら、追いつく。
木々が風に揺れて、大きくうねる。
スタッフが、ひとり階段に座って、鼻歌を歌う。
考えるの、やめにした。
台風が過ぎたあとの、オレンジ紫色した空の下、
ワークショップの子どもたちは、シェイクスピアの『十二夜』を演じる。
カメラは一台で。
三脚に置いて舞台を撮って。
振り返れば、後ろで、リーダーの柏木さんがうれしそうに一緒に
歌ってる。
どうしようと思って。
録画したまま三脚からカメラを外して、柏木さんを撮る。
舞台上で子どもたちが一斉にジャンプする。
どうしようと思って。
手持ちでそのままパンニングして撮る。
残った映像は、手持ちでブレてて。
慌ててズームとかしてる。
そのカットを、今も思い返しては、見直す。
こどもの館劇団、5年目の舞台、ビデオを借りて見る。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をもとにした、『ぼくたちの銀河鉄道』。
終わって、如月さんが挨拶する。
みんなで歌おうと言う。
曲は、如月さんが子どもたちのために書いた、
「さよならなんて言えない」
さよならなんて言えない
いまは言えない なんか言えない
遥かな空を見つめて つよく見つめて
じっと見つめて
涙がこぼれそうになるから
いろんなこと 思い出すから
時は流れ 季節めぐり
街の景色 変わっても
忘れない 忘れない
きみとすごした日々を
初めて作ったドキュメンタリーに、
『時は廻りて』というタイトルをつけた。
あるテレビ制作会社で、NHKの2時間ドキュメンタリーのADをして。
仕上げもほぼ終わって、ひとり、会社のソファで放心してた。
テーブルの上に、他番組の企画書があって。
何とはなしに、手に取って眺める。
15年続いた、ある番組の、特番だった。
過去を振り返る。
10年間、司会をつとめた如月小春と書いてある。
起き上がる。
何だろうこれ、と思う。
近くにいた、その番組のADを呼び止めて聞く。
その番組の立ち上がりから10年間、
如月さんが司会をつとめていた。
会社でよく見かける、あるプロデューサーの方は、
10年間、如月さんと一緒に番組作りをしていた人だった。
挨拶する程度だった。
大学四年生のとき。
就職活動がうまくいかず、受ける会社は悉く落ちて。
秋頃。
如月さんに聞かれる。
杉田くん、大学出たら、何するの?
映像系の会社に行きたいんですけど、全部落ちちゃって。
そうなんだ。
私がよく仕事してるテレビ制作会社があって、そこは主に
ドキュメンタリー番組作る小さな会社なんだけど、
仲のいいプロデューサーがいるから、よかったら紹介するよ、
たぶん入れるよ。
笑って言った。
ありがとうございます。
うれしかった。
それから二週間後に、如月さんは倒れた。
大学を出て、映画館でアルバイトを始めた。
ソファに置いていた、リュックを開ける。
『時は廻りて 十五年目のこどもたち』。
『時は廻りて』から三年後の続編。
ADの作業と平行して、自宅で作っていた。
その日の朝、完成していた。
誰かに見てもらおうと思って、DVDを焼いて持っていた。
そのプロデューサーの方は、その日、いなかった。
どうしよう、と思う。
デスクにDVDを置いた。
見て頂きたいです、とだけ、メモ書きを残して、その日は帰った。
次の日。
出社する。
姿を見かける。
目が合う。
笑っていた。
あとで話があるんだけど、時間ある? と言った。
ミミズクと出会うまでの、足跡を辿った時間を、
冒険を、誰かに伝えたくて、言葉にして、
結局叶わないまま、今に至る。
都市 ソレハ ユルギナキ全体 絶対的ナ広ガリヲ持チ
把握ヲ許サズ 息ヅキ 疲レ 蹴オトシ ソコデハ 全テガ
置キ去リニサレテ 関ワリアウコトナシニ ブヨブヨト 共存スルノミ
個ハ 辺境ニアリ タダ 辺境ニアリ
楽シミハ アマリニ稚ナクテ ザワメキノミガ タユタイ続ケル
コンナ夜ニ 正シイナンテコトガ 何ニナルノサ
(如月小春、舞台「家、世の果ての......」より)
如月さんが24歳のときに書いた戯曲。
倒れる直前、最後の講義で読んでいた。
『河の恋人』は、田んぼ道、葦の広がる遊水地、レンガ作りの喫茶店。
今年、続編を撮る。
書かれた台本は、都市、夜、首都高速。
女の子たちは、17歳から、20歳になった。
- 杉田協士 プロフィール その後(2008年 3月)
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自主制作映画『河の恋人』(今年公開予定)完成後、ドキュメンタリー映画『時は廻りて 十五年目のこどもたち』(公開未定)を制作。
熊澤尚人監督『虹の女神 Rainbow Song』、青山真治監督『サッド・ヴァケイション』、田中誠監督『うた魂!』などに、演出部として参加したり、しました。
世田谷美術館や、高校、大学などで、映画ワークショップをやったり。
NHK番組の、AD、ディレクターをしたり、しました。
現在、『河の恋人』の続編を準備中。