2005年

gojoに頼まれ、原稿を書くことになる。
誰が、助監督をしつつ、自主映画づくりをしている、無名の自分が書いた文章など読みたいと思うのか、と尋ねる。
名のある人が自主映画を作ることと、自分のような無名の人間が、誰に頼まれた訳でもなく、お金をはたいて自主映画を作ることとでは、意味合いが違ってくる。プロの現場も知っていて、自主の現場も知っている、そして、いま現に自主映画を制作している、あなたのようなポジションにある人間が書いた文章を読みたいのだと、gojoが言う。
書いてみることにする。
現在制作中の、『河の恋人』という作品が出来上がっていくその過程を追いながら、映画についての話を、してみようと思う。

○ 『河の恋人』について、語る前に

果たして自分が映画について、何かを語れる立場にあるかと言えば、きっとない。
今あるのは、自分が、映画と呼ばれるものを作ってみようとして、台本と呼ばれるものを書き、スタッフと呼ばれる人たちを集め、役者と呼ばれる人たちを集め、機材と呼ばれるものを揃え、ロケハン(ロケーションハンティング)と呼ばれることを行い、スケジュールと呼ばれるものをとりあえず組んでみて、15人程の人たちと一緒に、一月間、一緒に、映画と呼ばれるものを作る行為と信じることにしたことを、黙々とこなしたという事実だけである。
制作中、いつも頭の中にあったのは、今から一年前、千葉県のある小学校において、5年生を対象としたワークショップを行った時の、彼ら、彼女らの姿である。
ビデオカメラを全員に渡した。好きなものを撮ってきてとお願いした。
本当に好きなものであったかどうかは別として、彼ら、彼女らは、皆なにかを撮ってきた。
全てを上映した。
今みんなが見たものは映画だと思うかと問いかけた。
映画ではないと言う。
いや、みんなが撮ってきたこれらは、どれも映画なんだよと、簡単に言ってしまいたい欲求にかられた。だが、言えない。
逃げ腰の自分は、リュミエールの「シオタ駅」を見せた。
これは映画かと訊いた。
映画ではないと言う。

Iという、一人の男の子が撮った映像が、心に今でも引っかかっている。
彼は、自分が一番に撮りたいと言う。カメラを手にする。廊下をグルグル、ただ歩き回っている。その後ろを10人程の子どもたちが、グルグル、一緒について歩く。「何撮るんだよ」「早くしろよ」と、後ろから野次が飛ぶ。彼は無視している。突然立ち止まる。
彼は、徐に窓にレンズを向けた。そこにあるのは窓。その向こうには、すぐそこに隣接して立っている体育館の、壁。
彼は、録画ボタンを押した。撮りきった。
終始、彼の周りでは、「お前、何撮ってんだよ」「こんなの面白くねぇよ」「つまんねぇよ」と、野次が飛んでいた。
彼は、終わって、満足そうだった。
後に、それを上映したとき、子どもたちに、Iが撮ったものには何が映っていたかと訊いた。
「窓」「ガラス」「壁」「体育館」
それだけ?
「それだけ」
だが、しかし、その映像には、単純にもっといっぱい、いろんなものが映っていた。
ビデオを持つI、彼の周りで囃し立てている、子どもたち。彼ら、彼女らの姿が、はっきりと、窓ガラスに反射している。子どもたちは、みな、窓ガラスの方を向きながら、口々に何かを言っている。それら全てが映っている。
みんなが映ってるでしょ?
「そりゃそうだよ」

ここ3年近く、年に二本程のペースで、ドキュメンタリーと呼ばれるものを作っている。大体が、演劇百貨店というNPO法人団体が、世田谷や姫路で行っている中学生を対象とした演劇ワークショップの記録である。
カメラを持ち始めた頃の自分は、そこにいる人たちのことを、そこで行われていることを邪魔してはいけないという信念らしきものを持っていた。
そこで選ばれた撮影方法。
常に、広いフロアに40人程の人間がいる。目線があちこちで交わされ、言葉が飛び交い、体がぶつかり合う。それら、主に目線を邪魔しないために、しゃがんだ。初めて作ったドキュメンタリーと呼ばれるものは、その映像の大半が、犬くらいの目線の高さから、彼ら、彼女らを見上げた、仰角の映像によって、出来上がった。
自分がいるその場所に、本来はいないはずの自分が影響してはいけない。
それが信念らしきものだった。
その考えにいきついたある出来事が、4年程前にあった。
昨年、逝去された、青木富夫(突貫小僧)さんの、役者70周年記念パーティーが新宿のあるホテルで4年前に行われた。篠崎誠監督に頼まれ、その様子を、デジカムで納めていた。
篠崎さんが編集した、青木富夫さん出演映画記録映像が、大きなスクリーンに映し出された。参加者は、みな、スクリーンの前に集まり、盛り上がっていた。
青木さんは、その後方で、スクリーンの明かりも届かない程の所で、ひとり、静かに、椅子に座って、自分の若き日の姿を見つめていた。
よく見れば、その口元が、動いている。若き日の自分と一緒に、その台詞を口にしていたのか。何かを思い出して、ただ、独り言を呟いていたのか、分からない。その青木さんの横顔を、見つめていた。
と、突然、ライトが青木さんの顔を照らす。どこかのテレビ局のスタッフが、青木さんに手持ちの照明を当てて、スクリーンと青木さんを結ぶラインに立ち、堂々と、スクリーンを見つめる青木さんの表情をカメラに撮っていた。
青木さんは、照明を当てられ、また、カメラマンの姿に邪魔をされて、スクリーンが見えなくなっているはずのに、動じることなく、記録映像を見つめる自分を演じ続けていた。

仰角によるドキュメンタリー映画作りは続いた。
だが、しかし、徐々に、後ろめたい思いが強まっていく。
自分は記録を撮っている。その自分は、紛れもなく、この場所にいる。記録者として、存在し、参加している。そこにいる人たちは、自分の存在を、確認している。自分は、そのことに、嘘をついているのではないか。
自分は、撮るためにここにいる。
それまでは、被写体である人たちに気づかれないように、こっそりと、彼ら、彼女らの素の表情と思われるものを撮ることに、全力をかけていた。
が、もう、それはやめにした。
自分は撮っている。それは間違いない。だから、それはもう隠さない。
ドキュメンタリー作りを始めた頃は、目の前で起きる全てのことが、逃したら後で後悔するものと思われて、とにかく撮りまくっていた。
それもやめた。
まず、カメラを持ち、けれど、決して構えず、そこにいる人たち、その場所に、参加していった。ワークショップに一緒に参加するわけではない。あくまで、カメラを持っている者として、認めてもらわなくちゃと思った。徐々に、ただいるだけでも、参加者と目が合うようになり、会釈をし、認知されてきたと判断できて、それから、ようやくカメラを構え始めるように自然となっていった。今から自分は撮りますよ、というポーズを、意識的にするようになっていた。

映画は、作られるものである。
そこに関わるあらゆる人が、何かを意図する。
あらゆる意図の重なり合いによって、作られる、作りものである。
ドキュメンタリーにおいても、フィクションにおいても、Iが撮った映像にしても、それは何かを意図され、作られたものである。
だから、その作りものであるという、その嘘の部分に、嘘をつきたくないという思いを、今は強く持っている。
意図されるということ。
フィクションの撮影において、実際には、その役者の目からは涙がこぼれ落ちなくても、目薬によって、嘘の涙が作られ、役者は、カメラの前で涙を流す。それは、映画というものが紛れもなく作りものであるからである。
そのことに、嘘をついても、仕方ないのである。
それを突き詰めれば、ドキュメンタリーにおいても、被写体の人間に、目薬を渡し、嘘の涙を流してもらうことだって、決して間違っていない。

そういったことを踏まえても、しかし、この『河の恋人』というフィクション映画を作っていく過程において、問題はそんなに簡単なことではないということに、毎日直面した。
どんなに徹底的に、ある撮影が計画され、準備され、意図されていたとしても、そこでは、決して、意図されたこととは呼べない事態が、立ちはだかる。
Iが撮った映像が、それである。窓に反射して映る、子どもたちの姿。
プロの現場であれば、撮影時の窓への映り込みなどは、計算され、決して起きない事態である。けれど、そのような現場においても、意図されない事態は、起こる。
黒沢清監督の『朗読紀行にっぽんの名作 風の又三郎』の現場において、小泉今日子さんが、「そのとき、風が吹いてきて...」と、これから嵐が起こる前兆の場面を読み始めたとき、それまで静まり返っていた廃ホテルの室内に、風が流れ込み、彼女の髪や、垂れ下がったビニールを揺らした。
意図されないこと、が、目の前で起きる現実。

『河の恋人』撮影中に、日々、悩み続け、選択し続けたことのひとつが、これである。
意図されたことと、意図されないこと。
ドキュメンタリーの撮影時、仰角で撮ることをやめ、嘘をつかないことを選択したことと同じく、意図されない、いま目の前で現実として起きてしまっていることへも、同等に、嘘をつきたくない。その思いが、強まっていくこととなった。全てを制御しようとすることは、映画が作りものであったとしても、それはそれで、何かに蓋をしてしまうこととなる。
カメラのこちら側と、カメラの向こうで起きること。どんなに準備されたものでも、その目の前で起きる現実。その境目。
そして、そこに、レンズは向けられ、ある時間が映しとられていく。
それが、映画と呼ばれている。

そのことを自覚しつつ、長い前置きとなったが、これから、書き進めていこうと思う。

すぎたきょうしプロフィール
杉田 協士
1977年生まれ。東京都出身。
映画美学校初等科修了後、プロの現場に出るようになりましたが、
その世界だけにいるのも良くないかと思い、助監督業の合間合間に
世田谷や八千代の小学校において映画ワークショップをやってみたり、
NPO法人演劇百貨店が行う中学生対象の演劇ワークショップに
記録映像を撮りに毎年行ったり(主に姫路と世田谷)、
大正大学で講師をやってみたり、してきました。
助監督として、黒沢清監督の『風の又三郎』、『ココロ、オドル。』、
篠崎誠監督『犬と歩けば』、『留守番ビデオ』、
熊切和嘉監督『あさがお』、『揮発性の女』などに参加しています。
塩田明彦監督『カナリア』ではメイキングなどもやりました。
現在、自主制作映画『河の恋人』を製作中です。
[2005.7.19]