2 昭和最後の暴力教室

 昭和六四年。
 その最後の日、僕は祖父から譲ってもらったサージ織藍色コートを着て、オランダ坂をのぼっていっていた。
 長崎の冬は、西国の端とはいえ寒く厳しい。古めかしいバルマカンスタイルのコートは、中学三年生には似合わないと思い込み、着ていけとうるさく家の者に注意されても袖を通すことは滅多になかった。
 しかし、今日ばかりは誰の忠告を得るでもなく、学生服の上に羽織って外に出た。
 家の中は、朝から二分されていた。
 祖父の英晴は、陛下裕仁が崩御した報を受けて、朝から祝いの盃を傾けていた。
「なんもかんも悪かとじゃ。二・二六でん、義侠の強者を見殺しにしおってから。そん前では、共産党ば虫けら同然に殺してからさ。あげくに大東亜戦争に負けた癖して、詰め腹も斬らん! 後醍醐天皇やったらぞ、そげん甘か人間じゃなかったろうに。大元帥が笑わせるばい! マッカーサーとなんで刺し違えんやったとか!」
と、まあこの調子だった。僕にしてみれば、二・二六の決起兵たちも、非合法下の共産党も、戦争も、『太平記』の主役の一人も、アメリカ占領軍司令官も、関係がなかった。だが、第一次共産党の党員にして、敗戦を帝国陸軍上等兵として中国奥地で迎えた祖父が、盛り上がるのは、なんとなく理解できることだった。
「朝から酒呑んで! 陛下の崩御なすった日ばい! 喪に服さんとね!」
抗議の声をあげる祖母は、祖父と違い反共、反朝鮮、陛下服従の臣民だった。この二つの家の分断は、イデオロギーとかの話じゃない。単に、祖父が生活力を戦後喪い、パージされた男として過ごし、そのツケを行商や小商いの店を構えるなどして祖母があがなったという構図から生まれたものだ。だから、祖父母の諍いは、夫婦喧嘩と言えばそれまでの話であって、しょせんは、そういうものだと僕は呆れながら、飯にみそ汁をぶっかけてかきこみながら眺めていた。
「なんでんよかけど、喧嘩はやめてよ。昨日も仕事で寝とらんとやっけん」
母が二階の寝室から降りてきて、茶の間の祖父母の間に割って入る。それをしおに、僕は外へ出た。
 祖父の言いぶんが、破綻してるが、どこかで繋がるような気がしたので、賛意を示すつもりでコートを着た。
 オランダ坂をのぼりきって、長崎港を眺めてみる。雲が港の海面近くまで下りてくるように見えた。恐ろしく、雲が濃い。天空で渦巻き、不穏な感じを受けた。
「おい栄助、今日は休みぞ!」
寒々とした枝をはった桜並木と古い私立の学園の石垣に挟まれた石畳を早足で歩く同級生が声をかけてきた。
「ああ、おう」
それだけ答えて、相手をやり過ごす。同級生は、妙な顔を首をねじってこちらに向けながら遠ざかっていった。
 僕は、その光景をぼんやり眺めた。今日は休校であるくらい知っていた。だが、家から出て、昭和の最後の日というものを味わってみたかったのだ。
 昭和かあ、と言ってもなんの感慨があるわけでなし。そんな気分だった。どこかで暴動くらいは起きて欲しいなあ、と思いながら石畳をズック靴で蹴るように歩いた。
 オランダ坂の通りの下にあるのが、僕の中学だ。見下ろすと女子のバレーボール部とバスケ部の更衣室、というよりトタン葺きの雨避けしかない場所が見える。僕は、悪友の猿渡とよく覗きにここへきていた。
 僕が好きな女子、坂上ユミはバレー部だ。小柄だからセッターだった。色が白くて、目鼻立ちがち美術室のヴィーナスの彫刻のようだった。色がとても白くて、真っ黒な髪をボブスタイルにしていた。
 二年の体育祭で、僕は坂上が淡雪みたいな肌をしてると知ったときは、ジャージの下が膨らんで、どうにも始末に困ったものだった。どう考えても発育驀進中の男女が踊るのが奇妙、いや変態的なフォークダンス。この時、僕は坂上と向かい合ったのだ。
「ちゃんと握って」
坂上は、指先に触れるか触れないかの状態で踊る僕を叱るように言った。それでも躊躇していると、彼女は僕の手を掴んで、寄り添う形でステップを踏んだ。僕は、そこそこ背は高い。だから必然、彼女は僕に身体を沿わせる形になるわけだ。僕は、身体中の血が、恥ずかしい場所へ集中するのを感じていた。だけでなく、内股で彼女に悟られないように必死に不格好に踊ったものだ。
 その坂上の裸をこの坂の舗道から見下ろした時は、猿渡に注意されるまで、鼻から血を二筋流していることなんて気がつかなかった。
「栄助! わい、『パンツの穴』じゃなかとぞ!」
と、しきりに猿渡ははしゃいだ。彼が名付けた『超能力学園Z』ゾーンは、僕にとって、なんとも罪深くて、また抗しがたい魅力もあるゾーンだった。
 猿渡にからかわれながら、ティッシュを鼻に詰めて帰る僕が女を知らない、ということはなかった。充分過ぎるくらい、女の動物性はこの三年、いや物心ついた頃から味わっていた。
 僕のお袋は、ジャズバーの弾き語りで食っている。東京でデビューしようとしたがかなわず、故郷へ帰ってきた。しかし音楽との関係を断ち切れず、夜のバーで働くことにしたのだ。
 だが、それだけでは食っていけない。必然、パトロンが要るようになる。そこで見つけたのが、森脇という男だった。森脇は、土地の観光協会に食い込んだ興行師で、なかなかのやり手と評判だった。恰幅よく、縦も横も肉をつけ、和服をきこなし街を歩く姿はサマになった。その落としだねが、僕というわけだ。認知はされていない代わりに、金は充分に援助されているようだった。だが、森脇は僕を見ても、笑わない眼の底で、冷ややかに値踏みをするだけだ。
 その僕の過去を、馬鹿に開放的なお袋は、寝る前のアラビアンナイトのように語ってくれた。
 お袋の周囲の女たちも必然、眼に入る。
 様々な男をとっかえひっかえするタイプ。身請けされて囲われ、ひとり男を待つタイプ。
 なにがなんでも既成事実を作って、結婚を迫るタイプ、さまざまだ。
 僕は彼女らがお袋に相談に来る、その都度生々しい生態を見てきた。
 それだけじゃない。
 まだ僕の学校は、猿渡を筆頭に校内暴力の時代を引きずっていた。ちょっとませた女子は、放課後、気になった男子を体育倉庫や空き教室に呼び出して、ことに及んでいた。僕は、最後まではいかないが、ずるずる関係が続いている女子が二人いた。
 ひとりは下町の仕立て屋の娘で、ヤンキーとは適当に遊びつつ、自分は自分と割り切って大人ぶり、街をふらつく女だった。白里舞子という名前だった。僕は、居残り学習を受けさせられていた彼女から頼まれて、適当に彼女の学力に見合った答案を書いていた。何回かそのことがあってから、僕は空き教室に呼び出されて、抱き合った。
「いれてくれんね」
と白里は一方的に興奮しながら言ったが、僕は身体が反応しても、そうする気にはなれなかった。だけども、このまま白里が興奮しっぱなしでは悪いと思い、彼女のスカートの中の、そのまた奥の場所にキスをした。それから何度となく、白里と放課後は過ごした。まあ、それが終わると、すたすたと何事もなかったように、駄菓子屋へ行ったりするのが常だったが。
 もう一人は井伊志津という幼なじみだ。生徒会の委員会で議長と副議長をつとめていた僕らは、自然に生徒会室で抱き合ったりするような仲になっていた。これもまた、それ以上は何にもないという関係だった。
 その関係や僕の憧れを全部知っているのが猿渡だ。やつは街で「サルぼこ」と呼ばれて畏れられていた。
 一年生の入学式。
 僕はやつを初めて見た。
 朝、学校へ行くと、上級生のヤンキーが徒党を組んで、お迎え式という騒ぎを起こしていた。窓ガラスが割れ、椅子と机が、校舎から降ってきていた。
「新一年生は、立ち止まらないで所定の教室に入りなさい。繰り返します、所定の教室に入りなさい、立ち止まってなにも見ないようにしなさい」
 校内放送と、拡声器を持った背広姿の中年男が騒乱を避けて、花壇の裏から声をかけていた。
 校庭には既に機動隊が入っていて、踵まである長さの学ランに、エナメルの靴を揃って履き、鉄パイプと金属バットで武装した新三年生がにらみ合っていた。
「おーっす、わいたち一年生ば、おいらが可愛がってやるけんでな!」
と、新二年生の番長が、三年の総番長に代わって玄関通路前で挨拶をした。背後に散発的に降る机や椅子、割れて粉々になったガラスが見えた。ガラスは太陽を反射して光の塵のようだった。
「なんで、わいんごたるやつに可愛がられんといかんとや!」
いきなり二年番長の前に立ちはだかった男の子がいた。声変わりもまだで、背も低い。立ちはだかるというより、ちょこっと立ってみたという印象だった。変わっていたのは、全身青のジャージ姿だったことだ。
「なんや! おま.........」
最後まで台詞が出ないまま、その男の子の前に二年番長は膝を屈していた。しかも顔は血だらけだった。
「うわ、こいつ剣山持ってきとる!」
二年番長の脇にいた部下六名は後ずさりして叫んだ。剣山片手の男の子は二年番長にとどめの蹴りを顎に入れた。なにが太い枝が折れるような音がした。そして、剣山少年は血まみれの餌食を飛び越えて、逃げる六人を追っかけていった。
 それが猿渡民生である。
 あっという間に、学内を制覇した。一年の夏休み明けには、三年の総番長を従えて校内を闊歩していた。
 僕は、坂を下って学校に入った。一応、教室は解放しているらしく、校門、玄関は開いていた。
 休校であるから、下足場も、階段も、踊り場も、廊下も、ひっそりと静まり返っていた。冬の潮風が、立て付けの悪いそこかしこの窓枠をかたかたいわせていた。
 教室に入ると、先客がいた。
「なんや、わいか。なんで来たとや」
「サル、わいこそおかしかぞ」
「おかしうはない。俺は俺の時間で生きとるけんがなあ」
「そいやったら、俺も同じたい」
僕は、窓辺の自分の席へ行き、机の上に座った。サルは、ぽいと手に持った本を投げてきた。僕は受け取らず身をかわした。窓にぱしゃりとあたった本は足下に落ちた。見ると外人の男女がすごいことになっている雑誌だった。
「はははは。エロはこげん日に限るな」
「そげん言う癖、やったことなかろうもん」
「おうさ。俺のチンポは、上玉に捧げるとさ。世にも言われんような美女にな。毎日鍛えとる。立たせて、土瓶ば持ち上げたり、氷で冷やしたりなあ。苦労のあるとぞ、男の道は」
 猿渡と僕の関係は、どういうわけか映画館から始まった。
 僕は小学生の頃から映画ばかり観ていた。日曜日は映画館のはしごをした。二本立てのはしごだから、四本、時間が合えば六本観られた。僕は、毎週の日曜日、ニュース劇場というリバイバル館にいつも来ている猿渡を後ろの席で見かけていた。ニュース劇場は『エマニエル夫人』と『仁義の墓場』という取り合わせも辞さない、強烈な番組が売りだった。
 一本目と二本目の合間に、僕は売店でお菓子とジュースを買いにいった。そこで、ビールを出せと店員を脅かす猿渡と眼があった。
「わい、二組の田中やろ?」
「おう」
「一緒に観ようで、ヤクザ映画とエロ映画は男の華ぞ! ビールもう一杯、仲間のぶん!」
 それから僕らは、他の映画館へも一緒に足を運ぶようになった。そして帰りに書店へ行く。僕は文庫を立ち読みに。あいつは、小遣い稼ぎのカツアゲに。
「立ち読みするなら、持っていけ!」
そう叫んだ猿渡は、僕の手にある文庫本と奥まったところに安置されているエロ本を奪い、レジに見せびらかしながら、堂々と店を出て行った。
 やつと映画に行くたび、好きな本が増えていった。
「なんでサル、今日はここにおる?」
「.........帰れ、早う」
猿渡は黒板上の時計を睨んで呟いた。
「李の来る。今日はここでケリばつけるとさ」
 僕は髪が一本立ちになるのを感じた。
 李文国。
 泣く児も黙る、喧嘩師。
 中華中学を中途で辞め、喧嘩一筋につとめあげ、いまや猿渡と並び称される中華街のロケット花火。小学校四年生の頃、親がみかじめを払わないため、土地のチンピラから嫌がらせを受けた。ラーメンにゴキブリがいたと店で昼時の混み合う時間に因縁をつけたのだ。困り果てた両親を見て、李文国少年厨房へスキップしながら入っていき、持ち帰った中華包丁でチンピラの手首を刎ねたのだ。偽物のロレックス腕時計が、因縁の丼にぽちゃんと入った。その時計は、いま、李文国の左腕に輝いている。
 李文国と猿渡が闘わないのは、やればどちらかが死ぬからだと言われていた。文字通り血の雨が降るだろうと。
 その李文国が猿渡とサシで、しかもこの教室でやりあうなんて。僕は、居合わせてしまうことに、抗いがたい興味と恐ろしさを覚えて、動けなくなった。
「.........!!!」
猿渡が瞑想した。豆粒のような目玉が消えたが、瞼の下でぎょろぎょろ動いているのが分かった。
 その時、教壇側の引き戸が開いた。
 白いジャージの男は戸につかえそうなうわづえ。細くて硬い棒のようだった。
 片手には黒光りするトンファーが握られていた。
 李文国が立っていた。

(つづく)

[2008.6.9]