第1回 塚本晋也 (1)

 僕の仕事のおもだったものはすべてインタビューだ。そもそもドキュメンタリーの勉強をしていたことから、話を訊くことが気になっていたのかもしれない。だけども仕事になるとは、思わなかった。まったく人生というやつはどこでどう結びつくか分からない。
 いままでインタビューで出した本は、八冊。雑誌などで発表したインタビューは三〇本を超える。フリー生活を続けている僕の生活の糧は人の話を文章にすることに費やされたってわけだ。その総決算的な本は昨年出した、新藤兼人監督に訊いた「作劇術」(岩波書店)だ。性も根も尽き果てるような聞書きというのは、このことだろう。一言一語、聞き漏らせないという緊張感と文字にしていく作業。バカ手間をかけたが、さらに小野さんというパートナーの手を経なければ納得の出来にはならなかったことを思うと、自分の力の限界というものを感じる。
 その仕事を経て、まだ僕は新しい仕事として聞書きを続けたいと思っている。だけども、今度は、さらにいい仕事をしたい。そのためにも、中間的反省をここで立ち止まってする必要があるな、そう感じていた。その矢先の原稿依頼だった。
 僕はフリーの編集者として生業をたてている。好きでなったわけではない。映画の学校を卒業後、助監督などをして暮らしていたが、拾われて出版社に勤めるようになった。その会社も長続きせず、一年半で首になった。その後、タイミングが合わないままこうして徒食しているわけだ。いまふっと書きながら、「あ、デ・ジャブだ。この原稿の仕事は夢で見たぞ」と思った。こういう感じであるから会社には無用のものとされてしまうのである。
 さて、僕の初体験を書く。むろんインタビューだぞ。
 インタビューの仕事の最初は、一年半の会社暮らしのなかで行われた。僕が勤めていたソフトマジック社は知る人ぞ知るエロ劇画専門の出版社だった。会社の体力がなく、たいていの本は、復刻だったので巻末に作者へのインタビューなどをのせて本に仕立てていた。僕は、その手伝いと定期刊行物だった「ゴーゴーwindows」なるデジタルエロ雑誌の編集をやっていた。ほぼお使いさんの仕事だったので、日々、暇があれば漫画を読むかなにかして楽に仕事をやっていた(だから首になるんかな?)。そんなお気楽な日、いきなり重要案件を持ちかけられた。
「岸川くん、あのな。今度我が社で、山上龍彦の漫画全集をやることになったんだ。ついては実務作業を君にやってほしい。漫画の写植修正から巻末特集までなんだけど。どう、やってみっか」
きつい福島訛りで上司のKさんは話を振ってきた。言うや否やぷいとあっちを向いてしまい、お気に入りのサイケデリックミュージックを聴くためにヘッドフォンを装着してしまうKさんに、僕の意見を聞いてもらう暇はない。僕は、全三十巻という山上全集の仕事に没頭することになったのだ。
 さっそく僕は、書籍の台割(目次のもっと細かいもの)をたてて収録作品の整理、そして巻末の解説、年表を作った。「光る風」「がきデカ」以前の作品チョイスはけっこう楽しかった。貸本漫画時代の山上作品の温かみ。手塚治虫に影響を受けたヒューマニズム。こういった処女作ならではの肌触りを読めることは、なかなかない。仕事に乗ってきた僕は、ざっと巻末に組む特集を考えた。それは、作家本人へのインタビューではなく(作家本人の言葉は挟み込みにエッセイをお願いしようと考えた)、山上龍彦のファンにその魅力を語ってもらおうと考えたのだった。ここにある当時のメモを写すと、
第一巻 塚本晋也
第二巻 四方田犬彦
第三巻 橋本治
第四巻 高橋源一郎
第五巻 中野翠
第六巻 内田春菊
第七巻 鶴見俊輔
第八巻 古谷実
第九巻 伊集院光
第十巻 大槻ケンヂ
と、走り書きで書いてある。この流れでいけばなかなか面白いものになったはずだが、全集企画自体が早々に潰れてしまった。会社にその体力はなかったのである。だが、一巻目の巻末特集だけは完成していた。幻のものになったが、初仕事はやることができたのだ。
 塚本晋也は「鉄男」シリーズ、「TOKYO FIST」で好きだった。だが山上作品との接点は、四方田犬彦の評論で知るまでまったく知らなかった。塚本監督が少年時代「光る風」を自主映画として製作していたなんて。これは、いけると思った。さっそく塚本監督にハガキを送った、すると会社にほどなくして電話がかかってきた。
「ども。お手紙を貰った塚本です」
うひゃあ、本人だ。握っていた受話器に力が入る。
「インタビューの件は、いいですよ。やりますよ」
「あ、ありがとうございます」
「でもー全集が出るなんてびっくりっすよねえ。誰が買うんですか」なんとファンダメンタルな質問をいきなり! 僕はうろたえてしまった。
「いやっ。それはその、好事家とかコレクターとか......いやあ六〇年代から七〇年代の空気を吸いたいひとが買うのではないでしょうか」
「ああ。僕は好事家になっちゃいますね。へへへへ」
「はははは」
なんとまあしまらない会話だが、話は決まった。
 日取りはだいたい決まったが、場所が決まらない。インタビューでは場所が大事だとされる。山上漫画の、「光る風」の空気を醸すようなところ。どこだろうかと悩んでいたら、
「千駄ヶ谷のあそこのホテル。ほら、田宮二郎が自殺したあそこ。この前、買い物で前を通ったらゾゾっときたのよー」
と、霊感の強い経理の女性とこれまた霊体験の豊富な女性編集者のRさんが昼ご飯を食べながらスピリチュアルな話しをしていた。
「お、それ。いけますね」
僕は横合いから話に首を突っ込んだ。聞けば、会社のすぐそばにある鳩守神社ヨコ向かいのホテルがそのゾッとするスポットだという。僕は早速、そのホテルへ直行した。
 ホテルは五階建てのなんとも古いものだった。生気のない樹木に囲まれ、ロビーもなんとなく薄暗い。連れ込み旅館とはまた違う印象の淫微な雰囲気ただよう場所だった。僕は、フロントへ行った。フロントには年齢不詳のおばさんが立っていた。頭には変なずきんを被って、ユニフォームなのか白いガウン風のワンピースを着ている。化粧はただ白いだけという感じ。遠目で見ると、白い影のようなひとである。
「こんどの金曜日の七時から、お部屋を御借りしたいんですけども」
「いいですよ」と、蚊の鳴くような声で答えるおばさん。
「で、ですね。田宮......」二郎と言いかけたところでおばさんの顔色が黄色に変わった。
「そ、それは」と、おばさん。目が泳いでいる。泳ぎついた先から急に声がした。
「自殺した部屋だね!」
振り向くとそこには蝶ネクタイ姿の初老の男が立っていた。切れかけた蛍光灯の下に立つ男は亡霊のようだった。僕は、正直、肌が泡立つのを感じた。
「自殺した部屋をご所望なのですね!」男はテノールで声高に言った。
「は、はいっ」
僕の声も彼につられて甲高くなった。
「では、そのお部屋。お取りいたします」男は深々と礼をした。
僕は悪のりが過ぎたかと思った。インタビュー場所の設定としてはヘビーすぎるのではないかと。

プロフィール
岸川 真(きしかわ・しん)
編集者,インタヴューライター.1972年,長崎生まれ.山口大学人文学部中退,日本映画学校卒.佐藤忠男,山谷哲夫に師事.出版社退社後,フリーランスで書籍,映画プログラムなど編集.編著書『『映画評論』の時代』(佐藤忠男と共編,カタログハウス),『球漫』(伊集院光著,実業之日本社).『作劇術』(新藤兼人著 聞き手小野民樹とともに)
[2007.4.20]