第5回 その名は「伝説マガジン」の巻 (その2)

 泉谷しげるの回で失態を演じた僕は、出場停止のペナルティを受けた。
 そうなるとかなりな経済的な問題にぶちあたるのである。
 このころ、「『映画評論』の時代」(カタログハウス)を準備中であった。しかしその膨大な批評の海でどうやったら、筋の一本通ったアンソロジーになるか皆目見当もつかず、経験値もない僕は難破状態だった。
 さらに日銭を稼ぐために、このころ映画のパンフレットに手を染めていた。先日、逝去した熊井啓の遺作「海は見ていた」を手がけることになっていたのだ。これは当時、「別冊文藝 鈴木清順」や先に述べた「『映画評論』の時代」の編集で知り合った日活生え抜きの映像事業部付きの苦労人、Tさんとの交流による。Tさんについては稿を改めて書きたい人だが、とにかく日活草創期から紆余曲折を経て現在に至るまでの道のりを熟知した職人肌の「活動屋」だった。乃木坂にあるロッポニカビルの地下で、小林旭関連の記事や写真を一緒に探した日、埃を山ほどかぶって僕に資料を差し出してくれた時の、嬉しそうな笑顔は忘れられない。
 このパンフレットがまた、難渋を極めていた。
 はじめは映画館側も配給宣伝側も、自由裁量でこちらに任せてくれていた。ところが、出来上がったパンフレットを監督が見て激怒、差し戻しになったのだ。
「この糞みたいなパンフレットを作ったのはお前か!」
という電話が携帯にかかってきたのは、ちょうど僕が密かに準備していたドキュメンタリーの打ち合わせを小沢昭一さんの代理人とやっていた最中だった。
 まさに激越なる怒りをぶつけてきた熊井啓に僕は逆切れした。
 こちらは配給からオーケーをもらって、小屋からも好評を得ていたのである。
 さらに言えば、その事実は「監督も承認」ということを物語っているものだと判断していた。
 そこにこの電話は、僕にとって理不尽だった。掛け直した電話で僕は口火を切った。
「まず監督に伺いたいのは、配給からこの冊子の概要や中身を見せられたと思うんですが、どうだったんですか」
「なにを! そんなもん見ておらん!」激昂収まらずという風である。
「じゃあ、僕に文句を言うのはお門違いですよ、だって配給は監督にオーケーを取ったって話をしてるんだから」
「なんだと! 知らん! とにかくこれは括弧付きでダ・メなんだ!!!!」
これでは議論にならない。水掛け論になってしまう。そこで僕は配給に確認を取って電話するとして切った。
 汗がどうっと流れた。
 『伝説マガジン』の失態のあと、経済状況を埋めるためこういう仕事を引き受けた。
 心を初心に戻すためインタビュードキュメンタリーを計画して小沢昭一や存命だった今村昌平や青島幸男、ジョージ川口らに声をかけていた。これはすべて手弁当だった。
 そんななかで、私事で非常に重いことも抱えていた。
 連れ合いの急な病と不和だった。
 連れ合いには無理をさせていた。僕が会社勤めを初めて以来、同居していたが、その後、馘首、無職、貧乏のまっただ中。という生活に連れ込んでしまった。かなりの精神負担がかかっていた。それを見せずにいた。雑誌で干されたことを告げると、
「......キャバクラか風俗にいってもいいんだよ」
と夜の闇の中で言われた。僕は心臓が喉に詰まったように無言になった。
 それだけ献身的だったのである。いや、献身という軽い言葉では言い表せないものだったはずだ。「一緒だったら死のう」とまで言ってくれたのだから。
 その連れ合いが不調に陥った。手術が必要なもので、その金すらどうしていいか分からない。そのような日常の中のトラブルだった。汗は粘り着くような物質だったが、それが身体を這い回るように広がっていった。
 配給は捕まらない。留守電を入れてもダメだ。映画館側に告げると、作り直しを指示された。仕方ない、僕は携帯電話を再び取って熊井啓に連絡を取った。
「そうか、そうしてくれるか。うん、このなかにはいい原稿も多い。だからな、少々変えていくだけで成立すると思うんだ」
熊井監督は明るい声で言った。押したり引いたりは監督の必須の処世術である。この時、熊井は引いたのであろう。僕はうぶにもそれを監督の理解と信じて、喜んだ。
 それからはファックスの波だった。
 連れ合いと僕が沈黙し、端座して手術の日を待つ間にその紙の波は流れていった。
 その白と黒い文字の奔流は、僕と彼女を引き離すもののようだった。
 長い熊井とのやりとりで、やっと満足のいくパンフレットになった。僕は今それを見直すと、拙い素朴なパンフレットに見える。だが、出来上がった時は、つくづくホッとした。
 しかし仕事で紛れていた、インタビューの失態と私事のトラブルが目の前に持ち上がった。
 僕はその頃、同じ部屋では寝てもらえずに、外のベランダで寝ていた。仕事は近くのデニーズに行って徹夜で仕事していた。
 その生活がパンフレット完成でいったん、終わった。
 あとは手術をどうするかという決断に追われ、ベランダで寝る日々だった。
 自分の職能をあげる勉強もままならなかった。
 そのなかで彼女には密かに二冊の本を懐に忍ばせていた。つくづく己が嫌になるような習性である。書痴というものの病理は深い。
 その二冊は関川夏央「天才老人 山田風太郎」と坂口安吾「不良少年とキリスト」だった。
 朝の黎明の中で、硝子戸越しに眠る彼女を見やりながら、関川と山田のやりとりを読んだ。生活に疲れ果てた中でも、染み渡るような対論の本であった。
 読み上げたとき、明けの鴉が頭上で鳴いていた。
 硝子戸が開いた。
 彼女の白い二本の脚が、朝陽に光って見えた。だが眼は、赤く泣きはらしていた。

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 手術へ向かう間、二人は黙って錦糸町行きのバスに乗っていた。
 バスの後部座席は彼女のお気に入りの場所だ。二人は別々の方向を見ていた。
 僕の懐の本は一冊になっていた。
 手術を待つ間、ずっと病院付近の喫茶店で本を読んでいた。安吾の妻との話に引き込まれた。安吾がそばに立っているような、そんな一編を読んだ。涙で視界が歪んだ。
 術後、時間を経て、二人は月島行きのバスに乗った。
 もう錦糸町には行きたくないと思った。あの町は僕にとって禁忌の町になっている。
 空はとっぷりと暮れていた。
 バスには数人しか乗っていなかった。それはマネキンのように生気がないものに見えた。
「映画、撮ってほしいな。絶対」
ふと彼女が小声で呟いた。
 僕の頬を暖かいものが流れた。
 仕事がなんだ、スキルがなんだ。
 けっきょくは人間なんだ。
 人間の思いを抱えて走っていけ。
 人間でいくしかないじゃないか。
 ペナルティで得たものは恐ろしく、根本的なものだった。
 そして、また生活が始まった。

(つづく)

[2007.8.20]