第9回 インタビュー行脚

 単行本のためのインタビューについてみっちり書く前に、映画パンフレットや雑誌インタビューについてのいろいろを語っておきたいと思う。
 雑誌のインタビューというのは、急ぎ仕事の最たるもので、企画の提案はずるずるーっとやってくる。で、いざ決まると対象者との日程や場所の調整を決めて、資料を超特急で仕入れる。そして慌ただしく本番。ここで、何を、どう訊くかが定まっていればいいのだけれど、そうはいかないという場合の方が多い。現場勝負という、居心地の悪い状態になる。だから、僕は最近、そういう雑誌仕事には触手が伸びなくなった。
 「伝説マガジン」で雑誌インタビューは連載していたが、初回の塚本監督以外は、対象者探しだけでも骨が折れた。「マンガしか頭になかった」というコーナーなわけだから、マンガファンでなければ成立しない(凄まじく嫌い、という人も訊けば面白いか)。大宅図書館などに通って、過去の記事を漁ったり、ラジオ関係者に情報提供してもらったりした。ヒドい時は、タレントがテレビでマンガの話を一言でもしようものなら、すぐに事務所へ電話してアポを取ろうとしたものだ。下準備では、どのマンガが好きかという基本的なことしか調べない。他を対象者に根掘り葉掘り訊いては、本番でやる意味がないし、こちらも舐められる。だから、マンガだけ仕入れておいて、その話題の枝葉末節になるだろう対象者の人生行路や趣味嗜好、話題になるマンガの内容から影響を与えただろうと特定される作品もカバーして頭に入れておいた。吉田照美さんがつげ義春が好きだというのは、面白かった。その理由がふるっていて、吉田さんが対人恐怖症であったことが、つげ作品に惹かれたというのだ。こういう所に落ちていくと、恐怖症の克服やそれからのマンガ嗜好、得たものなど話題が広がって小気味よい。
 だけど、話が停まってしまう時もある。
「手塚治虫は本当に良かった」
「ええ。どのあたりでしょうか、惹かれたその核心は?」
「本当に良かった。だからかなあ」
「ええ」
「良かったなあ。全部」
こうなってしまうとフリーズ状態だ。妙な沈黙の幕が二人の間に降りてゆく。ひたすら僕はコーヒーを飲む。相手は、やや斜め上の虚空を見つめながら、勝手に笑ったりしている。僕が食いつくと、
「いやいや。良かったなあ」
なんてことで終わる。そんな時はどうするか。ひたすら粘るのである。沈黙なら沈黙の意味を考えて、他の話題に持っていく。それでも駄目なら、今度はいま現在の状況を話して世間話に持ち込むのだ。僕は世間話は得意だ。喫茶店なら喫茶店の話題を持ち込む。それも、雑誌的な話題をふるのではなく、
「僕、滋賀県の外れにある不気味な喫茶店に入ったことがあるんですよ。老婆が一人でやっていて、早朝五時から開店してモーニングサービスを出すような」
とこうである。すると、何気なくあちらも、
「どんな店なの」
とくる。そうしたら独演会である。徹底的に笑わすための話を展開する。それで笑うと相手は、自分の持ちネタを披露することになる。インタビューは、相撲のような力学になる場合が多い。相手がこうなら、俺はこう。シーソーゲームに持ち込めば、それだけ語数は稼げる。あとは原稿化する時に、テーマと沿わせて再構成をやればいいのだ。
 そうやって「伝説マガジン」はしのいできた。
 女性誌でもやった。
 アシェット婦人画報社の仕事だったけども、これが難しかった。マンガインタビューならば、読者の目線が分かる。僕より数レベル上のマンガファンだと。だけども、女性誌はどうなんだ。依頼が来たとき、慌てて女性誌を読みまくった。そこでちょっと分かったのは、一つ。
 「ムード重視。生活のこもごもの素敵ポイントをどっか拾う。専門知識はいらない。だけど知的なキーワードは入れておく」
ということだ。映画の原作者に話を訊くということだった。筒井康隆さんだ。僕は担当だったこともあって、少し気持は和んだ。だけど、筒井さんは話題縦横な人だ。下手に文学の深い話を訊くと、とめどもなくとりとめもなく話は続いていく可能性がある。だから僕は「訊く」ではなく「聞く」という姿勢で行こうと決めた。原作の要点をささっと訊くと、映画の話題に持っていき、なるだけ評価よりは俳優の好みなどを伺って終わった。筒井さんは話し終えると、やや心配げだったが出来上がった原稿を読まれると安心なさったのか褒めて頂いた。だけども、僕のインタビューはやはりマニアックなところがあったため、いくつかは削られた。女性誌、これは難しいものである。
 筒井康隆さんへのインタビューは過去4回ほどやらせて頂いたが、これはちょっと作家篇で書き落としたので、次回、詳しく述べることにしよう。
 映画パンフレットはどうか?
 これは映画を観てくれた人のスーベニールだ。日本ならではのグッズである。だから話題としては、徹底して対象とされる映画について訊けばいい。ただし、面白くない映画を扱う場合は気をつけなくてはいけない。ついつい本音が出たり、変に持ち上げてしまう場合があるからだ。本音の場合は、まあ失礼というところだが、ヨイショすると後々祟るし、やってて気分が悪い。
「あんな映画褒めてた」
なんて噂が同業者に立てられて、信用は失うのだ。怖い怖い。そこでどうするのかというと、どこかいいところを探してその一点を攻めるのが一番いいやり方だろう。監督も出演者も、喜んで話してくれる。意外な話題も転がり出て儲ける場合もあるわけだ。
 よかったのは古厩智之監督。「まぶだち」という映画だったが、とにかく同世代の怒りと笑いが飛び出して、それだけで映画論になった。以来親交は続いている。
 どうにもならなかったのはあるアニメ監督のときで、人間的に受け付けないタイプの人だったため喧嘩になった。これはもう、僕の仕事としては褒められたものではない。このこともいずれ書こう。
 出演者が相手の場合は「事務所」の介在があって、「親指探し」という映画のときは、主演の俳優と遠慮しつつ話すことになった。映画も、それほど感心しなかったわけだが。ある意味スター映画なので、どれも同じシーンのさばきかたで、「武士の一分」のキムタクのように特殊なアプローチの面白さは微塵もなかったのだ。そのせいか、客観的に「甘やかされているんだな」としか対象を見ることが出来ずに、褒められない仕事としてしまった。食うためとはいえ、こういう始末になることは避けたいものだ。
 僕が一番印象的だった仕事は、フローラン・エミリオ・シリという気鋭のフランス人監督へのもの。「スズメバチ」という、護送する囚人ごと警官が倉庫に閉じ込められた状況を打開するために奮闘するアクション映画だ。この作品を引っさげてフローランは日本に来た。インタビューはアテネフランセ。同席するはずの配給業者は、忙しくて来られない。彼らが迎えにくるまでに、通訳と僕と監督はなんと一時間の予定だったインタビューを、四時間する羽目になった。映画の話題も尽きて、通訳も席を外し、僕と異国の監督は二人きり。
「................................................」
「................................................」
目と目だけで笑いあい、テーブルのコースターに落書きして見せあって時間を過ごした。そして配給業者が「粗末に扱っている」と苦情を言い出した。僕は愚痴を聞いてあげた。
 別れる時、彼はガシッと抱擁して来た。
 新人監督は辛いなあ、と彼の背中を見て思ったものだ。
 しかし。しかし、彼はその後、数年もせずにブルース・ウィリスの主演映画を演出した。
 ハリウッドメジャーへ進出を果たしたのだ。
 ほんとうに良かった。映画の成績はまあまあだったけれど、迷子のような新人監督がしっかりと世界に立っていることを知った時の喜びは、我がことのようだった。

(つづく)

[2007.12.27]