第2回 塚本晋也 (2)

 天井のシミが広がっている。それはじわじわと木目の模様をくっきりとさせながら。僕はその変異をジッと見入っていた。今日は晴れなのに、雨漏りのはずはないのに。

 今日が塚本晋也監督へのインタビュー当日だった。場所は俳優の田宮二郎が自殺したという旅館の一室だ。
 夕方五時の約束だったが、塚本さんは予定よりも三十分ほど早く千駄ヶ谷に到着した。
「いやあ、暑い暑い。もう途中で自転車なんか捨てちゃおうかと思っちゃいましたよお」
塚本さんの第一声はそれだった。迎えた僕の目の前に颯爽とフランス製ロードタイプの自転車にまたがって現れたのだ。黒い綿のポークパイハット、濃い紺色のポロシャツに、カーキ色のチノパン姿。なんとも軽快だ。
 まだインタビューまで時間があるので、事務所で冷茶を出した。それを一気に飲み干す塚本さんのぐるりには編集部員たち。全員が好奇の目を輝かせながら、彼の一挙手一投足を見守った。まるで稀人がやってきた昔の村落である。
「んな風に見られてると緊張するなあ......皆さん、編集者の方ですか?」
村人編集部員は黙って頷き返すだけ。やや不穏な感じである。社長である川野井さんが、まだ四〇代の若さなのに長老然とした物腰になって、塚本さんの目の前に腰掛けた。それまで全員総立ちで取り囲んでいたのである。
「ども社長の川野井です」首だけをぺこりと頭を下げる。
「塚本です」
 社長は青林堂に在籍していた編集者だ。退職後、郷里の福島へ戻ってコンピュータープログラムを独学で修得した。その腕一本で会社を立ち上げ、悲願の出版社にした小さな立身出世の立役者である。僕はそんな苦労人の社長の一言に期待していた。
「で......塚本さんは映画を撮っているんですか」
社長の屈託のない質問に僕は凍り付いた。映画監督だと何度も教えたはずだった。作品のビデオも渡したのに、この質問だ。
「はい。いろいろなんとか撮ってます」
「はぇえ、そいじゃ儲かりますか?」細い首をぬっと伸ばしたその姿は、ネクタイを締めたスッポンのようだった。
「いやあ儲からないっすねえ。出版はどうなんですか」塚本さんは機嫌も損ねずにこやかに訊く。
「冗談じゃないですよぉ、儲からないから映画は儲かるのかなあ、だったらやってみたいなあなんて思ったもんだから聞いたわけでしてね。いやあ、なんだか儲からない同士で困ったね、みんな。あははははは」
我々はこの「儲かる問答」のために監督を呼んだわけではない。すみやかに社長を部屋の外へ排除した。
「すいません。うちの社長はお金が大好きなもんでしてねえ」
代わって向かいに腰を落ち着けたのは、肩書き上は編集局長(部員総勢五名!!)である竹野さんだ。竹野さんは、出版社を立ち上げるという社長の気持を汲んで勇躍乗り込んできた、一匹狼の編集者だ。団塊の世代、そしてロックとヒッピー文化をこよなく愛する男である。愛し過ぎるあまりに、グラスを自家培養しているという噂もあるほどだ。信ぴょう性は社員それぞれ疑うものあり、確信するものありだった。ハイなときと、ダウナーなときの落差をしばしば僕は目撃していたので、こっそり彼を「タイマーマン」と呼んでいた。
「今回、山上全集の編集の責任を負います竹野です。今回はご足労いただいてすいませんでした。もう、山上といえば塚本さんだなって僕は思ってたんだよね。うん。へへ。やっぱどっか塚本さん、そういう六〇年代ジェネレーションな感じがするもねえ。なんかこう破壊というかさ。なんだっけかあの映画」
「『鉄男』ですか」と、僕。手柄をとられてちょっと不満顔である。
「そうそう。そういうことだから、場所に移動しましょうか。ね、岸川君」

 天井のシミは際限なく広がっている。はじめは乾いた黄土色だった天井が今は柿渋色に染まっている。一面に。
 僕のインタビューは割合と簡単にすんだ。ハイライトはこうだ。

── 『光る風』のファンと伺ってますが、他の山上たつひこ作品もお好きですか?
塚本 もちろん好きです。でも正直言うと、没入したのは映画にした『光る風』なんで他は、はっきりは憶えてないんですよね。前後の作品を読んではいたんですが、『光る風』があまりに鮮烈だったので。
── なるほど、そうだったんですね。
塚本 『光る風』を映画にしようと思ったのは14歳の頃だったかな。中学生の頃なんですよね。
── 『光る風』の自主映画化の『曇天』はそういう中から生まれたんですね。
塚本 そう、トイレからの脱出と江戸川乱歩の『芋虫』に通じる両手両足無い兄貴っていう二つのシーンで構成して映画にしたんです。最初から収容所に入れられて、そこからいかに脱走するかという物語と両手両足無い兄貴にお手伝いの雪が犯されそうになるところを映画にしたんです。
(中略)
── 16歳の時の作品ですよね。これは仲間でやったんですか?
塚本 ええ、友達同士でやったんです。高校生なんでセックスシーンもかなり健全な物でしたねえ。製作期間は一年くらいかな。その前の作品まで照明があるって事を知らなくって。日光で撮っていたので、やたら明るい作品だったんですよ。『曇天』って映画を撮ってたときに、並木座で映画観て照明ってものが世の中にあるんだと知りましたからね。いまと全く同じ照明なんですけど、他が黒くつぶれてて一部分にハイライトをあてる手法を使って撮りました。暗部の多い、影の多い作品になりました。
── 原作の感じそのままに。
塚本 ええ。抜粋って感じの作品になりましたね。
── 上映はされたんですか。
塚本 千駄ヶ谷区民会館ってとこでやりました。一階席、二階席があって、映画館への憧れがありましたし、そういう感じのところでやりたかったんですよ。で、二階席に8mm据えて上映会やったんですけど。
── 反応はいかがでしたか。
塚本 むちゃくちゃ評判悪かった(笑)。作品の内容というより、高校生らしくないって云うんです。その前まで、若者が空を飛ぼうというような明るいものだったんです。それは、評判良かったんですよ! 『曇天』のあとの画家の一生のヤツは、かなり評判良くって(笑)。両手両足の無いお兄さんが、お手伝いの女の子を犯すシーンがやりたくって。お手伝いの女の子が、全然そんなことしそうにないキャラじゃないですか。「やめてください!」って。高校生の作品だから後ろ手に両手両足を縛ってこのお兄さんそっくりのヤツに演ってもらって(笑)。いまもやりたいですよこのシーンは。
── いまだに『光る風』の映画化は考えますか。
塚本 う~ん、ずうっと考えているんですが、今も作りたいんですが諦めてしまう理由があるんですよね。あの物語を現代に置き換えた設定が、どうしても決まらないんですよ。
 (二〇〇一年六月実業之日本社刊『伝説マガジン』創刊号:「漫画しか頭になかった」より)

 初めてのインタビューだったので、ほとんど息継ぐ暇もなくカードに書いた質問をして、答えを引き出すというような案配だった。終えたらまだ時間が半時間以上残っていた。だけどももう頭がショートしてしまって言葉が出なくなっている。
「........................」塚本さんが不安げな色を瞳に浮かべながら僕を見ている。
だけども僕は、セックスが終わった直後のように息荒く、手を後ろについて背をそらせて端座しているしかなかった。そこへ助け舟を出したのが、竹野さんだった。
「いやあ、面白かったねえ。塚本さんは次何を撮るの」
「はあ、じつは『野火』をやりたいんです。大岡昇平の」
「へー、ほーオオオカねえ」
「戦争ってばばばばっと死んでいくというのが映画の定説でしょう。それを破りたいんですよね。ダラダラした戦争を描きたい。『野火』にはそれがあるんですよ。だけど、実体験として戦争がないから、いま生き残った人の話を聞きたいんですね」
 僕の頭には二人の会話がぼんやりとしか聞こえなかった。目線は宙に浮き、天井をひたひたと覆っていくシミに引き付けられていた。
「遠藤ってパンクロッカーの知り合いが、軍属の記録をとってたなあ」
もう天井一面に柿渋色が広がって、乾いた瘡蓋のようになっていた。僕らは瘡蓋の下で戦争映画の話をしている。
「ジャングルの戦闘中に蝶々がぶわっと舞い立つというシーンがですねえ」
「ここで俳優が猟銃自殺したそうなんですよ」不意に言葉が僕の口をついた。
「へ?」竹野さんと塚本さんは、妙な顔をして僕を見つめた。
そこに突然、唐紙が開く音がした。
「お時間が参りました」あのテノールだ。
 ぽつんと立っていたのは、蝶ネクタイの男だった。
 瘡蓋色の和室に男が三人、鴨居の下に蝶ネクタイの男。その時間の光景は僕の初仕事の幕切れとして、記憶にくっきり残っている。まるで古いポラロイド写真のように。

(塚本晋也の巻、終わり。以下つづく)

[2007.5.23]