『トウキョウソナタ』 黒沢清

 菊地成孔は昨年発表されたキップ・ハンラハンの傑作『Beautiful Scars』のライナーノーツを「あなたは何故ニューヨークを出たのか?」という話題から始めている。
 ニューヨーカーだったキップが、今は去りしニューヨークで制作したアルバム、としてそこで表現された音に「距離感と悲しみの質の変化」を感じ取った菊地成孔は、キップ自らによって「美しい疵」(Beautiful scars)と名付けられたそれらサウンドたちを、「強く強くそこに居るあまり、移動による喪失が、トラウマのように疵化する」と表現した。郷愁にはつねに移動がつきものであり、強く強くそこにいればいるほど(いたほど)、郷愁はよりはっきりとした輪郭を帯びて人の心に強く巣食う。キップ・ハンラハンはニューヨークという街に強くいる(いた)ことによって得た郷愁を決して消えることのない「美しい疵」としてディスクに刻み込んだのだ。
 この『トウキョウソナタ』の監督である黒沢清は、もちろんキップのように東京を都落ちしたわけではなく(菊地曰く、キップはニューヨークを都落ちした)、今現在も東京に住みながら東京の映画を撮り続けている(本作のいくらかは横浜で撮影されているものの)。しかしこの映画には、確かに東京の街を無条件には肯定はしまいという強い意志と、この映画に固有の郷愁ともいえるものが画面から直に感じられた。これはいったいどういうことか。
 例えばホウ・シャオシェンが東東京の下町エリア(厳密には今現在の東京に「下町」は存在しない)を街や人々に対する暖かい眼差しと豊かな時間で描いた『珈琲時光』は、異邦人というよりも今も昔もまさにそこに住んでおり、決して俯瞰した視線からは導きだせない生きた街の風景を郷愁ぬきに捉えたドキュメントとして東京の街を写し取っていた(あれから5年とたたないうちに、有楽町の風景はすっかり変わってしまった)。
 しかし、この『トウキョウソナタ』という映画の東京のショットたちは、その生誕100年記念に小津安二郎に捧げるとするホウ・シャオシェンの映画よりもずっと肌身を擦り寄せる距離で小津安二郎の映画の東京のショットたちと共鳴している。
 ところが奇妙なことに、ホウ・シャオシェンにしろ、黒沢清にしろ、その作家としての演出術は、おそらく小津安二郎よりもむしろ溝口健二に身を寄せているように見える。溝口的な演出術、それはなるべくならカメラに背を向けようとする登場人物の在り方や、食卓であれリビングであれ窓越し(家と庭の境界)に掃除やら洗濯物をしている女性の背後を見事に収めたカメラワークに如実であるし、更にいえば、カメラが滞留する時間のなかで女性の動きを優しくフォローすればホウ・シャオシェンであり、時には静止したフレームの外に彼女たちが出てしまうことの残酷さにも平然と堪えうるのが黒沢清だともいえる。だがしかし、彼らの東京という街に向ける眼差しだけは、全く異なるように見える。
 前作『叫』にしろ、『トウキョウソナタ』にしろ、これらの映画のショットで捉えられた東京は、『生まれてはみたけれど』の、『一人息子』の、『長屋紳士録』の、『東京物語』の、それらのショットたちと等しく残酷な眼差しで見事に画面に収められている。黒沢さんは、かねてから小津の映画について「登場人物が死んでいるようにしか見えない」と公言しておられるが、言ってしまえばそれは黒沢さんの映画も同じで、小津にしろ黒沢さんにしろ、すでに営みを終えてその時代の役割を果たし終えた風景に率先してカメラを向けている。それらの寒々しい風景を背にしてしまえば、いったいどんな人物であっても死人にしか見えないのは当たり前だろう。
 しかしいったい、風景に対するこのような残酷な視線はいったいどこからくるのだろうか。それこそが郷愁がもたらすものなのだろうか。
 おそらく本質的に小津も黒沢さんも東京にさほど興味があるわけではないのだろう。ただし、それは東京でもどこでもいいという訳でもなく、興味があるわけではないけれども東京でないともはやダメ、というネガティヴかつ追いつめられた選択から来ているのだと思う。これはいわば、異邦人でもなく、ましてやそこで生まれ育ったわけでもないが(深川生まれの小津は一時三重に移り住んでおり、黒沢さんは関西弁を滅多に話さない神戸の人だ)、ただし今現在確かにそこに生き営んでしまっている、ということの最も誠実で残酷な視線の現れなのだろう。
 この『トウキョウソナタ』という映画の中で映されている風景も人物たちも、全く持って過酷な生の営みにその身をさらしているが、そのことを見つめる視線がひたすら誠実でかつ残酷であるために、この映画はギリギリの美しさを獲得している。この映画のラスト、あの美しい「月の光」を耳にした後、私はあるブログで「日本映画の墓の上でダンスを踊る」という表現を目にしたことを思い出した。この言葉の意味を、まだはっきりと理解したわけではとてもないが、しかしこれはとても美しく、かつ過酷な意識でこの映画のことを言い表した見事な表現だと思った。この映画の持つ郷愁とは、ある時代以降の日本映画に対する郷愁でもあり、そのことの表層に徹底して身を置き続けることの残酷さでもあるように思う。それは、おそらく35年の月日を経て、冬のパリを残酷な郷愁を込めて画面に収めた『愛の世紀』のジャン=リュック・ゴダールと等しい身振りで呼応している。

[2008.10.11]