日々、映画にまつわる能天気な駄文をネット上でさらし続けている。「映画右往左往」とは、PR誌「未来」に連載している記事のタイトルだが、ここではその「作品篇」として、毎回一本の映画を選び、それを観るという行為自体も含めた形で勝手な言葉を連ねてみたい。映画と映画を観る行為が不可分であることを教えてくれたのは、田中小実昌である。そして、映画が芸術表現であると同時に、魅力的な"物質"であることにいつも誠実でありたいと考えている。
1 モンソーのパン屋の娘(エリック・ロメール)
とかく映画に魅入られた人は、映画の撮られた場所に興奮してしまうものだ。先日、リスボンへ行かれたある高名な映画監督が、坂道の多いこの街で、階段を見るたびに「これ、オリヴェイラの"階段通り"だよね!」と言っていたらしい。苦笑するよりないが、目の前の風景に映画を幻視したがるのは私とて例外ではない。
『モンソーのパン屋の娘』は、エリック・ロメール「6つの教訓話」シリーズの第1話となる中篇だ。このシリーズには、目を背けたくなるほどエロティックな映画がいくつかある。「男女接触なし&脱衣なしという条件下で世界一エロい映画」だと信じている『モード家の一夜』や、女性の膝を撫でるというただ一つの行為のために映画内のすべての要素が動員されてゆく『クレールの膝』のような作品だ。このシリーズの筆頭である『モンソーのパン屋の娘』にも、すでにその片鱗が見られる。毎日路上ですれ違う女性に恋心を抱いた主人公の青年は、ある日ようやく話のきっかけをつかむ。だが、その途端に女性は姿を見せなくなり、すると今度は近所のパン屋の娘に興味を持ち始める。その娘は、男に気があるのかないのかミステリアスな態度を取っている。男はどうにか娘を連れ出すと、細い道に誘い込み、壁を背にした彼女をはさむように両手を前に伸ばし、その肩を撫で回す。
この映画のほとんどを忘れても、そのシーンだけは私の脳裏に生涯残るだろう。ラストで、娘は男とのデートをついに承諾するのだが、男はその途端、再び現れた元の女性の方に戻ってしまう。あっけに取られているうちに、映画は幕切れに。
大学4年生になる直前の春休み、映画仲間の江角(仮名)とともに、初めてパリへ出かけた。狙いは、ひたすら映画を観ることである。何しろ初の海外旅行で浮かれていて、街を歩いていても映画のことばかり考えている、そんなお年頃だ。何も分からないから、モンソーという地名を聞いても『モンソーのパン屋の娘』しかレファレンスがない。で、ある日、それだけを探しにモンソー公園へ出かけた訳である。いざ着いてみれば、そこかしこに、それらしい建物とそれらしい街路。なあ、あそこのカフェ、あの映画のパン屋と店構えが似てないか? 建物の感じからして、あれなんじゃないか? 図々しくもそのカフェに入り、そこの親爺さんに聞いてみたのだが、昔のことはよく分からないなあと言う。いや、きっとそうなんですよ!と日本人2名、変に自信たっぷりにその場を去った。いま冷静になってみれば、たぶん違うのだと思う。
それでもとぼとぼ歩き回っているうちに、パン屋の娘が肩を触られた、あの壁を発見することができた。これだけは間違いがない。私と江角は狂喜した。「こうやって肩を!」と江角は私を壁に押し付けて、ねちねちと肩を撫で回す。「こうやって!」 もうやめてほしいが、なかなかやめてくれない。いまこの男は、映画に圧倒的な敗北を喫している。
思えば、ロメールの映画は、いつも「場所」に対する論理性に満ちている。ハリウッド映画のロジカルな空間造形をもっとも原理的に摂取したヌーヴェルヴァーグ作家は、やっぱりロメールだと思う。だからこそ、現実のパリの中にいた私たちに、その場所に行きたい気分をとりわけ掻き立てたのではないか。この時もう決めていたのか、江角はその後エリック・ロメールの映画を卒業論文のテーマにした。いまだに私はそれを読めないでいる。
- プロフィール
- 岡田秀則(おかだひでのり)
1968年、愛知県生まれ。映画研究者。東京国立近代美術館フィルムセンターに勤務。明治学院大学非常勤講師。日本のドキュメンタリー映画史、唯物的映画史を専門分野と称するが、むしろ映画の雑食性を好む。共著に『映画と「大東亜共栄圏」』(森話社、2004年)、『ドキュメンタリー映画は語る』(未來社、2006年)など。2002年より個人ウェブサイト「アトリエ・マニューク」を主宰。