15 ひとで(マン・レイ)

 仕事柄、私は「フィルム・アーカイヴ」という言葉をかなり頻繁に使う。けれども、ある日小さな疑問が湧いてきた。日本で初めてそう名乗ったのはいったい誰なのか? とそれなりに真面目に考えてみたのだが、その答えはどうやら「黙壺子フィルムアーカイブ」なのではないか(もしそれ以前にそう名乗った団体があればご教示いただきたく...)。なるほど、この国で初めてそのように自称した組織が、公的な映画保存所ではなく一つの自主上映団体だったことは興味深い事実だ。このことは、ある時代の日本の映画状況を雄弁に物語っていたのではないだろうか。
 「ぴあ」を開いて、アヴァンギャルド映画というものを一度観てみたい、と思った19歳の冬。面白いとかつまらないとかではなく、ただの「お勉強」でも構わないから、とりあえず観ておかねばならぬ、と変に決意は固かった。オフシアター欄にあった「黙壺子(もっこす)フィルムアーカイブ」という上映会の名前がキラキラ光っている。新宿の厚生年金会館の裏手だったか、アートシアター新宿と呼ばれたその会場では、少なからぬ人たちが固唾を飲んで7本の前衛映画の上映を待っていた。友人モドローネ氏と一緒に最前列に陣取っていると、やがて会場は暗転し、ハンス・リヒターの『午前の幽霊』、ブニュエルの『アンダルシアの犬』、クレールの『幕間』、マン・レイの『ひとで』、フェルナン・レジェの『バレエ・メカニック』、デュシャンの『アネミック・シネマ』、そしてコクトーの『詩人の血』といった短篇が、着々とした足取りで、しかし実に淡々と、僕らの前を通り過ぎていった。一所懸命かっこいいところを見つけようとしたが、どうもそういう映画ではないようだ。しかしその場所には、確かに真冬の熱気があった。
 だが、アートシアター新宿は、ほぼこの時を限りに消滅してしまったらしい。つまり私のアートシアター体験はこの一度きり。年上の映画好きの方々とお話をすると、「黙壺子フィルムアーカイブ」といえば、まず『ピンク・フラミンゴ』ノーカット版と『フリークス』なのだという。だが私の世代はこれに間に合わなかった。さらにこの劇場の沿革を聞かされてみれば、要するに自分らは所詮遅れた世代なんだと納得させられた。
 ところが、あれに似た雰囲気をまとった自主上映会が、ある日忽然と出現したのは1989年頃だったと思う。「シティロード」に掲載されていたその上映会の名は「シネマシオン」。中央線の東中野駅の改札を出て、いま映画館(ポレポレ東中野)がある方とは反対の左側に向かい、山手通りを渡って商店街に入り、やがて右手に見えてくる教会の隣のビルの地下が会場だったと思う。薄暗い部屋の一室に小さなスクリーンが下がっていて、椅子は15脚ほどあっただろうか。地下だからではないが、ああ、アンダーグラウンドは健在だ、と思った。映画のラインアップは「黙壺子」と酷似していた。もちろん例のアヴァンギャルド映画の盛り合わせもあったが、当時はとんでもなく魅力的な長篇作品もかかっていた。マックス・オフュルスのめくるめく『輪舞』。ムルナウの悲痛な『最後の人』。そしてエルンスト・ルビッチの『メリー・ウィドウ』。巨匠たちのデビュー短篇特集とかいってポランスキーの『タンスと二人の男』やオーソン・ウェルズの『ハーツ・オブ・エイジ』なんてのを訳もわからず観ていた記憶もある。
 そしてある日、映画が終わってから、受付の男性に「この映画はどなたの持ち物なんですか」と問うてみた。その方の答えから、私は「黙壺子フィルムアーカイブ」を率いた映画評論家佐藤重臣という名を記憶に刻むことになった。佐藤重臣が亡くなったのは1988年。つまり「黙壺子」と「シネマシオン」の間には、彼の死が横たわっていたことになる。その後「シネマシオン」は会場を荻窪の「アール・コリン」に移し、やがて再び消え去ってしまった(「アール・コリン」自体は演劇の劇場として今も健在である)。
 それから15年。「映画秘宝」の2006年7月号をぼんやり眺めていたら、「黙壺子」の活動が取り上げられていたので驚いた。スタッフだったという安岡卓治氏や熱心な観客だった柳下毅一郎氏の回想に、至るところでうなずいた。そこに書かれていたように、確かに「黙壺子」の、そして「シネマシオン」の上映会に足を運ぶことは、教会へ行くようなどこか宗教的な体験だったと思う。あの上映会は、友人と待ち合わせたり、おしゃべりをしながら訪れる場所ではない。たったひとりで小さな暗い空間へ入り、密かに啓示を受けて、終わったら静かにもとの世界に戻ってゆく。『輪舞』などでは、私の精神は間違いなく夢幻の境地に達していたはずだが、そういう超越的な感覚がこの上映会には潜んでいた。さらに、あの上映会でかかっていたフィルムのすべてが佐藤重臣の所蔵品ではなく、多くのコレクターの協力に支えられていたこともその記事から知った。あの空間ならば身を捧げてもいいと思った人が幾人もいたのだろう。そう、どんなに小さな上映会でもいい、やっぱり映画の本質とは具体的な"場"を持つことだ。それは、映画に関する私の考え方の根底に今もある。いくらビデオやDVDを集めても、自分の部屋が"場"になることは決してない。それを教えてくれたのが、例えばこのささやかなアングラ空間だったのかも知れない。

 パリのシャイヨー宮にあった映画博物館へ行った時、入口から遠くないところに、『アンダルシアの犬』の市松模様の箱と並んで、『ひとで』なる展示品があった。案内の男性が、円筒形の小瓶に入ったヒトデ(なのか?)を指差して、「これがマン・レイのヒトデです!」と誇らしげに言う。「あの『ひとで』のヒトデなんですか」と訊くと、「ええ、そのヒトデです」というそっけなくも自信に満ちた返事。「あ、そうなんですか...」。そういえば、これを集めたアンリ・ラングロワも生涯を映画の"祭壇"作りに捧げた男だった。別に証明書があるわけじゃなし、しかもそれだけ観たって面白くも何ともないけれど、あのヒトデなのかとひとり頷いてみれば、神々しい気がしないでもない。また次にお目にかかることがあったら、疑ってすまなかったと謝りたい。

*黙壺子(もっこす)=熊本方言で「頑固一徹な人」。

[2008.10.14]