3 ウォーカー(アレックス・コックス)
もし、この人こそ自分の時代の映画作家だと言える監督を挙げろ、と問われたら、外国ならまずアレックス・コックス、日本映画なら阪本順治、と答えるつもりだった。誰もそんな質問はしなかったのに、勝手にそう口にする準備だけはできていた。就職したら映画があんまり観られなくなったなあ、と溜息をついていた1990年代の初頭のことだ。「自分の時代」といっても、自分と年齢が近いという意味ではない。長篇デビュー作にほぼリアルタイムで出会い、この人の新作は逃すまいと密かに決心した監督のことだ(実際はその後見逃した作品がいくつもあるのだが)。勝手に「アレックス・コックス主義者」を名乗り、独りよがりな連帯を表明することは、それだけで気持ちのいいことだった。というのも、コックスの映画は、自分が実は世の中に怒っていたということをリマインドしてくれるからだろう。それは、日頃からのうのうと暮らしていると、どうやっても頭の隅に追いやられがちなのだ。
大学2年の頃だったか、映画論の一般教育ゼミで、H先生が突然「アレックス・コックスの映画を観ている人はいますか?」と問うてきた。一般教育ゼミというのは、誰でも自由に聴講することができる大教室での講義である。学期最初の講義には「映画好き」を自称する学生たちが大勢やってきたが、一定のシネフィリーに基づく教養を何食わぬ顔で要求するいくつかの質問の前に、その多くは翌週かその次ぐらいには姿を消すことになる。
で、その質問に、手を挙げたのが自分ひとりだったことは誇らしかった。その気分、所詮小学生と変わりはしない。「何を観ましたか」。「『レポマン』です」。しかし、そこからが...。「あの映画には、何という映画へのオマージュが込められているか知っていますか?」。ああ「オマージュ」という言葉は分かったのだが...。「分かりません」。「では、どなたか?」。一同、沈黙。「これはロバート・アルドリッチの『キッスで殺せ』ですね」。今では、ちょっとしたシネフィルには知られたことだが、その時は無闇に悔しい気持ちがした。開いた車のトランクがギラギラ光り出す『レポマン』にも驚いたが、後に、ラストで薄気味悪い家が炎上してしまう『キッスで殺せ』を観た時は、あまりの衝撃に友人とともに黙り込んでしまった。スタッフやキャストのクレジットが上から下へ降りてくるという、実に気持ちが悪い体験ができるのもこの2本の共通点だ。
だが、コックスを「自分たちの映画作家」とみなすには、まだ充分ではなかった。それには『ウォーカー』が必要だったのだ。1855年から57年まで、ならず者たちを引き連れてニカラグアを支配したアメリカ人ウィリアム・ウォーカー。いわゆるフィリバスター(本国の命令なしに勝手に外国へ侵攻する非正規兵)だが、コックスがこの独裁者を代理人に立てて物語をぶんぶん振り回すドライヴ感に圧倒された。コカ・コーラやマルボロ、リムジンやヘリコプターまで登場するといったアナクロニズムが話題になり、その表現が、右翼ゲリラを送り込んでサンディニスタ政府を潰そうとするレーガン政権への痛烈な皮肉であることは分かったが、そこだけで語れる映画では断じてなかった。むしろ、コックスの得体の知れない怒りがウォーカー役のエド・ハリスに乗り移っていたことに目を見張った。ハリスの姿は少し前に観た『ゆきゆきて、神軍』と完全にダブり、コックスのパンク魂とは『シド・アンド・ナンシー』ではなくこっちだと確信した。
パンク、直接行動、狂気、そのすべてが揃っていた。この映画の前には、後に同じくサンディニスタへの連帯を謳ったケン・ローチの『カルラの歌』でさえ、いかに煮え切らないものに映ることだろう。その後、アレックス・コックスはあまり頻繁に映画を撮れなくなっている。『エマニュエル夫人』のドキュメンタリーは面白かったが、日本で撮ったテレビ向けの「濱マイク」はいまだ観ていない。それでも「エスクァイア」の出したコックスの紹介本のためには作品解説も執筆したし、来日した本人に会うこともできた。映画にはコックスがいる、という認識は、今もなお映画のことを考える時の心の支えだ。まだコックスの活劇精神は、世紀の変わり目をまたいだ酷薄な「世界の論理」に対して通用するだろうか。そして映画が、政治に対して彼のようなロマンティシズムで対抗する術は、まだ残されているだろうか。