2 死んでもいい(石井隆)
外国に行って日本映画を観るのは、一種めまいにも似た体験である。誤解を恐れずに言えば、倒錯的な喜びだと言ってもいい。もっとも、私がドイツのケルンでやっと出会えた『愛のコリーダ』完全版であれば、日本で観られない以上、単に論理的なシネフィル行動に出ただけのことだ。そうではなく、徒歩や地下鉄でやってきた地元の観客たちに混じって、彼らがどの箇所で笑ったり歓声をあげたりするのかを肌で感じながら、映画を共有することが大切なのだ。初めての経験は、パリで観た吉田喜重の『水で書かれた物語』だったのではないか。これがかかったカルチエ・ラタンの名画座にはスクリーンが複数あり、入場者が並ぶ列を間違えないように、劇場の若い女性が手を挙げて「ヨシダー! ヨシダー!」と叫んでいたのを鮮明に覚えている。もちろん監督はどこにもいない。
その後、日本映画の外国への紹介を仕事とするようになり、こういう機会がにわかに増加した。1996年、オランダのロッテルダム国際映画祭で神代辰巳監督の特集を企画した時には、『恋人たちは濡れた』で、男女の下半身に大きくかぶせられた黒いマスキングに笑いが漏れた。『棒の哀しみ』では、冒頭の「HERO」という文字をプロダクションの社名とは誰も理解できず、「あれは主人公のことなのか?」と尋ねられた。映画祭だと、上映後には必ずとんちんかんな質問が降ってくる。よく言われるのが、「日本ではこんなことが普通に行われているのか?」だ。面倒くさがらず、いちいち大まじめに反論するのがお約束だ。
そんな外遊中の日本映画の中でも、私が忘れられないのは、ローマの小さな映画館で上映された『死んでもいい』だった。この映画はすでに日本で観ていたが、石井隆ワールドにも「名美」にも面識のないイタリアの映画狂がこれをどう観るのか、という関心はあった。あの濃密な劇画の息遣いが読み取れるのか。「漫画家出身の映画監督」という言葉だけでは大きな誤解を受けないか。しかも彼らには大竹しのぶも永瀬正敏も分からない(昔から外国人はどんな高名な批評家であっても日本の俳優を真剣に覚えようとしない)。作品の力さえ伝わればいいのだ、といつも自らに言い聞かせるのだが、実はそれをどこかで信じていない自分にも気づいている。そんな心配をよそに、日本の新作映画特集は、通常の会場である日本文化会館ではなく、会館職員の粋な計らいで、巷の名画座を借りて行われていた。
大竹しのぶが、不動産屋の社長室田日出男と青年永瀬との間で抜き差しならない段階にまで来ている。再び、めまいのような感覚に襲われた。私はこんなところで何をしているのか? だがその瞬間、映写が中断して会場が明るくなった。当惑してこちら在住の同僚に尋ねてみると、上映の途中で休憩を入れるのがこちらの習慣なのだという。ストーリーの盛り上がりも一切関係がない。お約束のように、ロビーで黙ってタバコをふかすロマーノたち。客は単独の男性が多いようだ。この映画は、東京でもそんな客層だった気がする。目の前にいた髭の青年が、ちょうど二本のタバコを吸い終えると上映が再開された。
エンドマークの後、無言で劇場を去った男たちがどんな印象を持ち帰ったのかは分からない。後で知ったのだが、トルコなど地中海諸国の映画館にも、開始から1時間の時点で休憩を入れる習慣があるという。これが「観客文化」というものなのだろう。これを受け入れている地中海岸の映画人の懐の深さを思う一方、こんなに濃密な時間をぶつ切りにするなんて、とも感じなかった。イタリアの映画館の扉が海に向かって開かれていることを、ただ祝福したいと思った。