11 家庭教師(渡辺文樹)
少なからぬ人々が、その映画監督の一挙手一投足に注目している。その名を聞いただけで口元から笑いが漏れてしまう人もいるはずだ。ある物見高い映画雑誌は、彼の行動をつぶさにウォッチし、応援し、彼を座談会に呼びさえした。私は観ていないが(観たいが)、彼を追いかけたドキュメンタリーも作られたらしい。その監督の名は渡辺文樹。実にいい名前だ、と私は思う。
いまや周知の事実だが、自作が劇場で公開されなくなってからの渡辺文樹は、われらが「島国根性」のタブーを破壊せんとするその時々の新作フィルムを担いで、日本中をせっせと行脚している。全国の公民館や市民ホールを借りて、町のあちこちに「失神するぞ」などと手書きした無気味なポスターを自ら貼っているという。もちろん、そこに掲載されている携帯電話の番号は監督本人のものだ。監督と脚本はもちろん、主演俳優もこなし、宣伝や上映まですべての仕事をほとんど単独でやっている彼の事務所の名は「マルパソ・プロダクション」。クリント・イーストウッドが大好きなのだろう。イーストウッドの方は、大目に見ているのか、いや単に気がつかないのだろうが、とにかく文句を言ってきたという話は聞かない。しかし、「マルパソ」とは確かスペイン語で「悪い足取り」のことだろう。その名前はむしろ彼の方に良く似合う。
とまで書いておきながら、私が観たことのある彼の映画は今なお『家庭教師』と『島国根性』、劇場でちゃんと公開されたこの2本だけである。「行脚映画」になってからの上映会には顔を出したことがなく、街角で二度ほどポスターを見かけたぐらいだ。私にとって、渡辺文樹とは1987年12月6日、日曜日の朝のことと決まっている。どういうわけか、前の日に『ゆきゆきて、神軍』を観て、やたらと気分が昂揚していたことは記憶に残っている。友人とともに、『家庭教師』初日の初回に池袋の文芸坐まで行った。友人とは、先のクロード・ソーテの回に登場した「モドローネ公爵」である。あのモドローネ氏が「注目の新人監督なんや」と言っていたから、ふむふむ行かねばならんな、と思ったのだ。この日はその年の初雪が降り、ひどく寒かった。劇場はいわゆる「文芸地下」。階段を下りて、ひと気の少ないホールの椅子に腰をかけた。
映画は、東北のある町で、家庭教師をやって暮らしているむくつけき独身男の生活と意見を綴ったものだった。生徒はどいつもこいつも問題児ばかり。男は自転車で家庭を回り、深夜でも家にズカズカ上がっては眠っている子を叩き起こして勉強を教え、反抗する奴には鉄拳も飛ぶ。朝は、登校拒否の女子生徒を布団から引きずり出して無理やり階段の下まで連れてゆく。泣こうが叫ぼうが容赦はしない。それでいてちゃっかり教え子の母親と怪しげな関係になっていたり...。おい、こりゃ芝居じゃないぜ、と笑いがこみ上げてきた。要するに、自分の日常の中から面白かろうと判断した部分を、うまいこと抜き出して再現したのがこの映画だ。ストーリーの本筋も、結局は中学生の不良少女とできちゃったという可愛らしい話で(もちろん警察沙汰だ!)、映画でもっとも痛快なシーンも、それが家族にバレそうになって、男が風呂場の窓から逃げ出して素っ裸で走り去ってゆくところだ。あの映画を観た人が20年後も記憶しているものがあるとすれば、あのデカい尻だけだろう。地下から階段を上がって、劇場の出口に仁王立ちしていた大男は、渡辺文樹本人であった。「映画監督」という人間に初めて出会ったモドローネと僕は、さっそくパンフレットにサインをもらった。これから自分がどんな映画監督になってゆくのか、先行きも見えないだろうその男は、太い油性ペンで自分の名前を書いた。インクがにじんでいた。
この映画でもっと驚いたのは、家庭教師の合間に、男が自主映画を作っているシーンを入れていたことだ。どうやら、かなり本格的な"戦争自主映画"のようで(『帰らざる橋』というタイトルだったと思う)、私は渡辺が"映画"に期待しているものの大きさに本気で震えた。「家庭教師」という題名は、いささか芸がない。後に「俺は園子温だ!」なんて映画だって出てくるのだから、これも「俺は渡辺文樹だ!」で構わなかっただろう。ただ彼は、謙虚で、シャイで、自分よりも映画の方が大切なので、そんなタイトルが付けられなかっただけだ。そう、この映画に出ている人々が羊のように従順なのと同じく、本人も"映画"の前では従順な存在なのだ。今の「行脚」だって、自分を売り込もうとか、そんなケチな了見で続けているとは思えない。ただ"映画"が、彼をしてあのような行動に駆り立てているだけなのだ。時に映画は、人間をどこまでも振り回す。映画に振り回される人間は、いつも哀しくて、そして美しい。
だからこそ『家庭教師』を観ていると、「映画は何のためにあるのか?」という根源的な質問に到達せざるを得ない。映画とは自分の持論を主張するための媒体なのだというそのオリジナルな確信は、すでにここで濃厚に表れている。現在の「行脚映画」は、きっとその側面だけが肥大化した姿なのだろう。今や芸風でさえあるスキャンダラスな行動を抜きにしても、私がそんな渡辺文樹を心のどこかで支持しているのは、今でも基本的には35mmで撮影していると聞いたからだ。公民館で上映するだけなら16mmやデジタルビデオ撮影で充分ではないか。恐らく彼が35mmにこだわるのは、「それでも自分はプロフェッショナルである」という自負からではないだろうか。インタビューによれば、監督はもう家庭教師はやっていないそうだ。まあ「行脚」もいいだろう。できることは全部やってしまおうという努力は常に美しい。だが、彼の映画は、「足取りが悪く」ても構わないから、再び劇場に帰還しなければならない。あわよくば、もう一度カンヌ映画祭に出してやりたい、とも思う。それが、あの尻を目撃してしまった人間の心なのである。